お知らせ内容
5月18日 メッセージより
2025年5月18日 メッセージ「私たちの帰る家」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 14章 1-11節
イエス様は、いよいよこれから仲間たちと引き離されて、十字架につけられていく、というお別れの前の最後の食事の席で、お別れの言葉を述べられました。その一部に今回の言葉「私の父の家には住まいがたくさんある。私は、あなたがたのために場所を用意しに行く」(2)があります。ここには出てくる「あなたがたのための場所」という言葉は、クリスマスの日、大きなお腹を抱えたマリアを連れながら、休める場所を探していたヨセフたちに対して、「ここはお前たちの来る場所じゃない」と断った宿屋の主人たちが言った言葉「宿屋には彼らの居場所がなかったのである」(ルカ2:7)と同じ言葉です。イエス様の周りに集まって来ていた人たちは、社会の中で差別され、「ここはお前たちがいていい場所じゃない」と言って、のけ者にされてきていた人たちでしたので、「あなたがたのために場所を用意する」と言われた言葉は、どれほど嬉しい言葉、喜ばしいお知らせ、福音だったでしょうか。
「きみがすきだって」という子どもの賛美歌がありますが、ドイツ語の原題は「こどもを勇気づける歌」なのだそうです。「誰かが認めてくれること」、「誰かから必要とされること」、「同伴者がいること」、そして「神様が助けてくれること」によって勇気づけられて立つことが出来る、というのは何も子どもに限らず、大人もみんな同じなのではないでしょうか。逆に言えば、それらが無ければ、私たちはしっかりと自立することが難しい存在であると言うことでしょう。
聖書の中にはまた「われらの国籍は天にあり」(フィリピ3:20)という言葉もあります。この言葉を墓碑銘としているお墓もよく見かけます。「私たちの帰る家」はどこにあるのか……。私たち一人一人の、すべての人の命は自分で作り出したものではありません。元をたどれば、自分の命も、隣の人の命も、家族の命も、すべて命の源である神様から与えられたものです。それを人間の都合で右と左に分け、清いものと清くないものに分け、救われるものと救われないものに分け、一方には居場所を与え、他方からは居場所を奪う。そんなことが許されてよいのでしょうか。もちろん、そのようなことはありません。「私に従いなさい」と言われたイエス様が、その身をもって示された道を、私たちもイエス様と共にあって、一歩一歩力づけられ支えられながら、隣人を大切にする歩みへと、今日も歩み出していきます。