お知らせ内容
10月26日 メッセージより
2025年10月26日 メッセージ「平和に生きる 孤独よりつながり」より
牛田匡牧師
聖書  マルコによる福音書   10章  2-12節
コリントの信徒への手紙Ⅰ 7章10-15節
 今回の聖書は、「結婚」「離婚」についてのイエス様とパウロの言葉でした。キリスト教の結婚式の中でしばしば引用されている「神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない」(9)という言葉は、いわゆる「離婚の禁止」として理解されていますが、本当にそうなのでしょうか。イエス様がこの言葉を語られた場面は、イエス様の反対者たちがイエス様を試そうとして質問してきた場面でした。「夫が妻を離縁することは許されているでしょうか」(2)、「モーセは、離縁状を書いて離縁することを許しました」(4)。確かに律法には、夫の離婚権が記されていました。ですが、妻の側の生活や権利の擁護にはついては何も定められていませんでした。現代日本もそうですが、古代イスラエル社会では女性は男性と比較して圧倒的に不利な状況におかれていました。即ち、結婚によって父の所有物から夫の所有物になるというのが女性であり、死別であれ他の理由であれ、夫と別れて寡婦となると誰からも保護を受けられない社会的弱者になってしまいました。そのように女性が主体性や権利を認められていない存在だったからこそ、妻を好き勝手に放り出すようなことは決して許されてはならない、とイエス様はファリサイ派の人たちを厳しく戒められたわけです。
 古代イスラエル社会に限らず、昔も今も、様々な社会の中で、様々な理由から「離婚」は行われていました。パウロはその手紙の中で「神があなたたちを呼び合わせ(結婚させ)たのは、あなたたちが平和に暮らせるようになるため」だったのであり、どちらか一方の生活や権利が侵害されるなど、お互いにどうしても平和に暮らせないのであれば、お互いを大切にするために、離婚してもいいと述べています。神様はご自分が創られた全ての命が大切にされて生きられることを望んでおられますから、夫婦や親子、家族といえども、一方が他方を踏みつけたり抑圧したりして、息苦しくさせられている状態を、決して良しとはされません。神様によって命を与えられた私たちは、平和に生きるようにと召し出されています。「人が独りでいるのはよくない」(創世記2:18)。私たちの周りにはその時々に、共に生きる仲間、家族や、また家族とも呼べる友たちがいます。孤独に生きるのではなく、つながりを結び合って、それぞれの中に生かされていく。そのようにして、私たちは今日もこの世界に平和を創っていくために、導かれていきます。





