お知らせ内容
11月9日 メッセージより
2025年11月9日 メッセージ「信頼は態度によって表される」より
牛田匡牧師
聖書 ヤコブの手紙 2章 14-26節
今回のお話の主題は「実践の伴わない信仰は、無意味であり死んだものである」(2:26)という明確なものでした。このような手紙が書かれた、ということは、裏を返せば、今から2000年近く昔の教会においても、そのようなことが「よくあった」ということです。口で言っていることと実際に行動していることが違う、というのは、大昔から、そして信仰を同じくする人たちの集まりの中でも、確かにあり続けて来たことだったのでしょう。「人の痛みを自分のこととして思いやること」が大切だと言っても、着る物がなく、お腹を空かせている人に対して、「安心して行きなさい。暖まりなさい。存分に食べなさい」と言うだけで、体に必要なものを与えないなら、何の役にも立たない(15-16)というのは、誰にでも分かる当たり前のことです。現代社会でも、そのようなことは起こっていないでしょうか。
最後の言葉「霊のない体は死んだものである」(26)は、「霊(プネウマ)」と訳されていますが、いわゆる「霊魂」と言うよりも、単純に「呼吸」のことです。「息をしないと体は死んでしまう」のと同じように、「行動を伴わない信仰も、また死んだものだ」と言うわけです。ですから、さらに言い換えれば「行い、実践というのは呼吸のようなものだ」とも言えるでしょうか。信仰や信頼というものは呼吸のように自然なもの。大きく深呼吸することばかりが大事なのではなく、たとえ小さくても着実に継続し続けることが大切。そんな呼吸のような小さな行動の連続によって信仰や信頼というものは完成されるのだ(22)とも言えるのではないかと思います。目や顔の表情が体全体の様子を代表している(マタイ6:22-23)ように、私たちは神と人とに対する信頼を、大きな行動として表すことは難しくても、態度や表情のような小さなことからなら、始められるのではないでしょうか。自分で意識していなくても、それこそ寝ている間であっても、私たちは絶え間なく呼吸をしているように、神の霊はいつも私たちの中にあり、私たちは神様の御手の中に生かされています(詩139:5)。私たちの態度や言動の一つ一つが、接する相手お一人お一人に、安心と信頼を伝えられるものでありたい。それは私たちの自分の力だけではできなくても、共にいてくださる神様によって励まされ、導かれて可能になるということ、そのような神様の働きに信頼して、今日も歩みを進めて参ります。





