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お知らせ内容

2月1日 メッセージより

2026/02/03(火)

202621日 メッセージ「実りはどこに 恵みはどこに」より

牛田匡牧師

聖書 マルコによる福音書 4章 1-9節

 今回のお話は、「種を蒔く人のたとえ」でした。種を蒔く人が蒔いた種が、4種類の地面に落ちて、それぞれの結末を迎えます。道に落ちた種は鳥に食べられ、石地に落ちた種は日に焼かれ、茨の中に落ちた種は覆われてしまって伸びられない。けれども良い地に蒔かれた種は、すくすく育って30倍、60倍、100倍にもなった。だからこそ「私たち自身も『よい土地』になって、たくさんの実りを得られるようになりましょう」。そのように、理解されることが多かったのではないかと思います。しかし、このたとえ話を聞いていたガリラヤの農民たちの視点、経験から改めて考えてみますと、どうでしょうか。人々は歴史の中で何度も飢饉を経験していましたから、貴重な種を所構わず投げ散らかすように種を蒔くことはなかったでしょう。むしろ、このたとえ話でイエス様が伝えられたのは、どんな所にも惜しみなく種を蒔く神様の気前の良さだったのだろうと思います。

 しかも、ここで言われている「良い土地」とは、よく耕され手入れされている高級な土地という意味ではなく、むしろ丘陵地帯の低みにあり、上の方から栄養価に富んだ土壌が流れて来る土地のことでした。つまり、社会の底辺にいて、一見すると神から遠く離れていて、祝福を受けられていないように思われていた人たち方こそが、実は豊かな実りをもたらす良い土地なのだ。全ての人に神からの命は豊かに、気前よく分け与えられていて、イエス・キリストは紛れもなく共におられる。だから、大丈夫。あなたは今日もこれからも、この地で自分の足で立っていけるということだったのではないでしょうか。

 私たちが何かをするから神様から祝福されたり、しなかったから呪われたりするのではありません。そのようなものは何も関係がないというのが、神様の気前の良さです。イエス様が伝えられた福音、救いとは、そのような人間の側の条件とは関係なしに恵みが与えられており、イエス様がいつも共にいてくださること。そして実りは最も低い所にこそ豊かに与えられるということです。だからこそ、私たちは不幸になることを恐れて必死になる必要もなければ、「幸福になりたい」と必死になる必要もありません。ただ神様の恵みに感謝して、神様が確かに共にいてくださることに信頼して、私たちは今日も与えられた命を生かされて参ります。

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