お知らせ

お知らせ内容

2月22日 メッセージより

2026/02/22(日)

20262月22日 メッセージ「新しく生きる」より

牛田匡牧師

聖書 マルコによる福音書 2章 18-22節

 「新しいぶどう酒は、新しい革袋へ」(マルコ222)という言葉は、一般的に「中身が変われば、仕組みや組織も変えなければならない」といった意味で広く知られています。キリスト教の伝統的な解釈においても、古い革袋をユダヤ教、新しいぶどう酒をキリストによる福音とし、新しい教えこそが真の救いをもたらすのだと理解されてきました。しかし、歴史をたどればイエス様自身はユダヤ人として生きられたのであり、後世の視点からユダヤ教の劣位を語ったと考えるのは不自然です。当時の生活において、古い革袋に新しいぶどう酒を注ぐことは、両方を台無しにする「非常識な行動」に他なりませんでした。こうした言葉が語られた背景には、そのような無理をせざるを得ないほど困窮した人々の姿が、イエス様の目に映っていたのかもしれません。

 イエス様が本当に伝えようとしたのは、形式的な教訓ではなく、「今こそが婚礼の祝宴の最中である」(219)という喜びの宣言でした。当時の宗教指導者たちは断食などの律法遵守を重んじましたが、イエス様は「花婿である私が共にいる今は、断食よりも共に喜び合う時だ」と説かれたのです。預言者イザヤが記した「真の断食」とは、単に食事を断つことではなく、不正の束縛を解き、虐げられた人を自由にすること、そして飢えた人とパンを分かち合うことでした(5867)。イエス様はこの言葉通り、抑圧から人々を解放し、共に食事を楽しみ、祝宴の場へと招き入れる生き方を貫かれました。

 現代の私たちは、しばしば「将来困らないために今を犠牲にする」という未来への脅迫の中に生きています。しかし、救いを未来に先送りするだけの言葉に解放はありません。イエス様が告げられた「福音」(良い知らせ)は、「私は今、あなたと共にいる」という「今ここ」にある救いの知らせです。たとえ生活が苦しくとも、互いに支え合い、分かち合う。その営みの中にこそ神の国は実現しているのです。「新しく生きる」ということは、いつか来る未来の話ではなく、「一呼吸、一呼吸の今」を大切に生きることから始まります。自分一人の力では難しくても、常に共におられるイエス様に信頼し、イエス様から力を与えられて互いを大切にし合いながら、今年もこのレント(受難節)の歩みを進めてまいります。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135