お知らせ内容
5月9日 メッセージより
2021年5月9日家族の日礼拝メッセージ「蝉の声より蛍の光」より
水谷憲牧師
聖書 マタイによる福音書 6章1-15節
「祈る時は、偽善者のようであってはならない」とイエスは言う。祈ることが人の賞賛を得るための手段となってはならない、人前で祈ることが必要になる場合もあるだろうが、「その行為によって『人から良く思われたい』『信仰深いと思われたい』という邪念が生まれないように気をつけよ」ということだろう。私が10年ほど前に出会ったアメリカ人女性は、「あなたもクリスチャンですか?」と尋ねられた時に、「そうです! 私、毎日祈ってます!」と答えていた。毎日祈ってるかどうかなんて聞いてない。信仰深いと思われたいのだろう。
あなたは何のために祈るのか? 皆に見せるために祈るのか?「さすがですねー」とか言われたいのか? あなたは神様と話したいはずなのに、心が周りの目を意識し過ぎてしまってはいないか? あなたの周りにいる子どもたちは、親と話す時に人目を意識して話しているだろうか? いろいろ振り返ると、私も知らず知らずと周りを気にしていたのかも知れない。大事なのは言葉でも、周りから私がどう見えているかでもなく、神様に向き合う姿勢なのに。
「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす」ということわざがある。「思いを口に出して言う者よりも口に出さない者の方が、心の中ではいっそう思い焦がれているものだ」というような恋に関係する意味らしい。じわじわと必死に鳴く蝉も、暗闇で静かに光る蛍も、いずれも自分の思いを一生懸命伝えようとしているのだから、どちらが良いとか、蝉ではダメだとかいうことはない。ただ私は個人的には、暗闇で静かに思いを込めて光を放つ蛍のようでありたいと思う。いろいろと上手に言葉を操ることができなくとも、私は私なりに神様に向き合ってゆけばいいではないか。開き直るわけでは決してないが、ありのままの自分を大切にしよう。神様は、暗闇のかすかな光をもしっかりと見つけてくださる方。願わくは、その光を「ほらほらきれいでしょう!」と神様以外に向ける誘惑に負けないように気をつけたい。
今日は「家族の日」ということで、一つだけ付け加えたい。神様に対しては、蛍でいいけれども、家族に対しては蛍ではいけない。人間に対しては、ちゃんと言わないと伝わらないので、蝉のように「いつもありがとう」「愛してるよ」って言葉を尽くして伝えた方がいい(自戒を込めて)。神様には蛍、家族に対しては蝉となって、愛と感謝の気持ちを伝えていこう。