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7月4日 メッセージより

2021/07/06(火)

202174日メッセージ「親から受けたもの、子に与えるもの」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 7章 712

 今回の聖書の言葉「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。叩きなさい。そうすれば、開かれる」は、「与えられるまで、求め続けなさい」「探し物を見つけるまで、探し続けなさい」「戸が開かれるまで、叩き続けなさい」というように、途中で諦めずに粘り強く取り組み続けることが言われています。続く「あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子どもには良い物を与えることを知っている。まして、天におられるあなたがたの父は、求める者に良い物をくださる」という言葉も、とても分かりやすい言葉です。しかし、イエス様がこれらの言葉を語りかけた人々の多くは、様々な病気や障がいを持ち、社会の中でのけ者にされていた人たちでした。その人たちの実際は、「求めても与えられず、探しても見つけられず、戸を叩いても開けてもらえない」「パンを欲しがったのに石を与えられ、魚を欲しがったのに蛇を与えられた」ことの方が、きっと多かったでしょう。それでも自分たちに出来ることとして、諦めないで粘り強く挑み続けることだ、とイエス様は励まされたのだと思います。

 イエス様から約2000年を経た今日でも、私たちは自分の子どもに「良い物」を与えたいと思っているにもかかわらず、実際には石や蛇を与えているということはないでしょうか。「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」と言われていますが、「人にしてもらいたいこと」を、私たちは分かっているでしょうか。例えば「子ども時代に親や先生たちから厳しくしつけられた。その時は、嫌で仕方なかったけれども、それらのお陰で今がある」というような話は、美談として語られることが多いかと思います。しかしそれは、実は「記憶の錬金術」なのではないでしょうか。なぜ、いつまで経っても「虐待」の連鎖は止まらないのか。その背景には、自分の受けた傷や痛みを、美しいものにすり替えて思い込む「記憶の錬金術」がある。そしてそこに生じているゆがみやきしみが、他人に対する暴力やハラスメントとして、無意識の中に出てしまっているのだそうです(安冨歩)

 その負の連鎖を止めるためには、まず自身の気持ちや過去の経験に、率直に向き合うことが必要です。「記憶の錬金術」を介することなく、それらに向き合えた時、私たちは「親から受けたもの、そしてまた子どもに与えるもの」に、誠実に向き合えるようになるのではないかと思います。現代社会には多くの課題があります。そしてそれらの課題に向き合うには、私たちには知恵も力も、また時間も足りません。諦めたくなることもあります。それでも命の神は私たちに、「今日も生きよ」と言われて、命を与えられます。共にいて下さる神様に支えられて、与えられるまで求め続ける歩みへと導かれて行きます。

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