お知らせ内容
7月11日 メッセージより
7月11日 部落解放祈りの日(聖霊降臨節第8主日)礼拝メッセージ「私たちの結ぶ実」より
水谷憲牧師
聖書:マタイによる福音書 7章 15-20節
今回の聖書、冒頭には「偽預言者に注意しなさい」という言葉が置かれている。この福音書が書かれた当時、偽メシアや偽預言者が良い顔をして近づき、イエスがキリストであることや、キリストの十字架による救いを否定して教会の人々を混乱に陥れようとしていたのだ。まるで悪徳商法の業者のようだ。ニセモノに対し、今の私たちはどう注意すれば良いのか。
「偽」という字はもともと「人が何かをわざとする」とか「人の真似をする」といったことを表す漢字で、そこから「ごまかす・だます」の意味になっていったという。私たちは知らぬうちに人の存在・人の目・人の評価を気にして、わざと何かしてみたり、うまくやっている誰かのまねをして無難にやり過ごそうとしたりすることはないか。そんな偽りの行動は、本来の自分であれば結ぶはずのないニセモノの実とは言えないか。「茨からぶどうが、アザミからいちじくが採れるだろうか」とイエスは言われる。茨やアザミが悪い木だという意味ではない。茨にも茨の役目があり、アザミにもアザミの価値が神によって与えられている。実はごく当たり前のことを言っているだけだ。ニセモノたちは自分が茨でありながら、ぶどうの実をつけるかのように思わせたりして私たちをだまし、惑わせようとしているのだと。
私たちはイエスの言うように、実を見て相手が本物かニセモノか見分けることのできる力を養っていかねばならない。また同時に、自分が本来の自分とかけ離れた実を結ぶかのように装ってはいないか、すなわち偽りの悪い実を結んでしまってはいないか、自分の姿も改めて振り返らねばならない。もしもニセモノの実・悪い実を結んでしまっていたなら、私たちは来るべき日に切り倒されて火に投げ込まれることのないよう、罪を悔いて改めなければいけない。私たちが自分の結んでしまったニセモノの実について心から悔い、改めようとするとき、神は復活の主イエスと共に私たちを新たな歩みへと押し出す大きな力を与えて下さるに違いない。
相手が本物かニセモノか見分けることなど実際には難しい。まずは人のことより自分の姿を謙虚に振り返りつつも、とりあえず悪徳商法、特にうまいことばかり言ってくる訪問販売にはくれぐれも気をつけていきたいものよ。