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11月28日 メッセージより

2021/11/28(日)
2021年11月28日 待降節第1主日礼拝
メッセージ「今日只今を生きる」より

牛田匡牧師
聖書 マルコによる福音書
13章 21-37節
 今日から、クリスマスを待ち望む待降節です。「クリスマス」と聞くと、すぐにプレゼントやご馳走を連想してしまうかもしれませんが、新型コロナの大流行から迎える2回目のクリスマスとなる今回は、世界規模での物資の供給網の混乱から、様々な物が無かったり、値上がりしたりしていて、病気の感染を心配するだけではなく、生活必需品が今度どのようになっていくか、ということにも心配する必要がありそうです。
 世界的な混乱の中、「世も末」と言いたくもなりますが、そのような「世の終わり」についての考えは、大昔から世界中でありました。イエス様の時代にも、そのような考え方はあり、弟子たちがイエス様に「終末の時はいつですか。その時には、どんな徴候がありますか」と質問し、それにイエス様が答えたのが今回のお話です。イエス様の結論は「その日、その時は、誰も知らない」だから「気をつけて、目を覚ましていなさい」というものでした。
 その一方で、聖書の中には「今が終わりの時です」(1ヨハネ2:18)とも、「主の日は、空き巣泥棒のようで、『もう来ていた』ということになります」(Ⅱペトロ3:10・本田哲郎訳)とも記されています。日本語では「来臨」「再臨」と翻訳されている言葉の元々の意味は、「そばにいる」です。神様はやがていつか来られる存在なのではなくて、もうすでに私たちのそばに来ておられます。なぜなら、クリスマスの夜、最も小さくされた人たちの間に、最も弱い存在として神様がお生まれになってくれたからです。この世界を創られた神が、人間となって私たちの間にやってこられました(ヨハネ1:14)。クリスマスに生まれたイエス・キリストの姿、その言葉と振る舞いを通して、私たちは命の神を知ることができます(ヨハネ1:18)。そしてそのイエス・キリストは、十字架の死からも引き起こされて、今もなお私たちのそばにいて、私たちはそのキリストの中に、キリストと一体のものとして、日々に生かされています。
 「『終わりの日』はいつ来るか」ということを私たちが心配しなくても、それももうすでに来ています。「神様は、誰のそばに一緒にいてくれるのか」ということを心配しなくても、もうすでに全ての人が神様の中に生かされています。だからこそ、その事実に気をつけて、目を覚ましていること。「今日(こんにち)只今(ただいま)」を生きることが出来るということに感謝して、私たちは今日もここから歩み出していきます。

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