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12月12日 メッセージより

2021/12/15(水)

2021年12月12日 第3アドベント礼拝メッセージ「荒れ野からの声」より

水谷憲牧師

聖書 マルコによる福音書 11-8節

 せっかく来週はクリスマスなのに、このマルコ福音書にはイエス・キリストの誕生にまつわる物語が一切ない。しかし今回の箇所も、少し違う切り口ながら、アドベントの記事であると理解することができる。この洗礼者ヨハネの「悔い改めの洗礼」、マタイ福音書によると「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると誰が教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ」と非常に厳しい言葉を伴っている。ヨハネはきっと私たちにも同じことを言うだろう。キリスト者だからといって必ずしも神の怒りを免れると思うな、悔い改めにふさわしい実を結ばなければ、神によって火に投げ込まれるのだと。

 ローマ・カトリックにおいては「七つの悪徳(傲慢・貪欲・情欲・貪食・嫉妬・憤怒・怠惰)」と呼ばれるものが挙げられているが、聖書のいう「罪」は、一つ一つの罪の行為だけを意味するのではなく、神に背を向け、神に敵対する、そういう心の状態をも意味する。仮に私たちが自分の心から生まれる様々な欲望を厳しく律することができていたとしても、追い剥ぎにあって倒れている人を、見て見ぬ振りをして通り過ぎるようでは、神に背を向けていることと変わらないのだ。「罪」は「的をはずす」ということに語源がある。私たちが神のねらい・神の願いとは異なる方向へ歩んでしまった時、私たちは罪にはまってしまっているのだ。だから、きっと洗礼者ヨハネは、人々に少々脅迫めいた形ながら、悔い改めを促したのだ。「悔い改め」とは、ただ罪を悔いて悲しむというだけではなく、新しく心を入れ替えて神の御心に立ちかえることを言う。それは、私たちの生き方の全面的な方向転換を意味する。

 私たちがこのアドベントの時期、それぞれの生き方を神が本来示されている方向へ改めて転換することを決意する時、来るべき救い主は罪の赦しと、私たちの決意に対する助けをきっと与えて下さる。悔い改めとは言っても、私たちは何度となく同じ罪を犯してしまう弱い者である。しかしそれも神は既にご存知のこと。大事なのは「今度こそは」という決意なのだ。ヨハネの「蝮の子らよ…」という荒れ野からの声は厳しく耳が痛いものではあるが、救い主は私のところにもきっと来てくださるという希望を持って、悔い改めを、小さなことからでもいい、確実にしていきたい。

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