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1月2日 メッセージより

2022/01/02(日)

2022年1月2日 新年礼拝メッセージ「神と人々の間に生かされて」より

牛田匡牧師

聖書 ルカによる福音書 2章41-52節

 今回の聖書のお話は、イエス様の子ども時代のお話で、12歳のイエス様がエルサレム神殿の境内で、大人の律法学者たちと話をしたり、質問をしたりしていたというお話でした。確かに、イエス様なら幼いころから大変賢かったに違いない、と思ってしまいますが、偉人たちが幼い頃から、いわゆる「神童」として周囲から際立った存在であるというのは、古代文学ではよくある筋書きでした。そもそも、ナザレに住んでいたイエス様と両親が、毎年エルサレムにまで旅をしていたということも、事実とは考えられません。確かに「律法」には、お祭りの際には主の前に立ちなさい、つまり神殿詣でをしなさい、と記されています。しかし、それがイエス様の時代に、どれだけ厳密に守られていたのかどうかは分かりません。

 むしろ福音書に記されているイエス様の言葉を振る舞いから浮かび上がる神殿におけるイエス様の姿は、律法学者たちと対等に議論し、律法について熱心に学ぶ姿というよりはむしろ、むしろなく律法を守ることができない人々、わずか2枚のレプトン銅貨しか献金できない貧しいやもめ(ルカ21)や、神殿の遠くから「罪人の私を憐れんでください」と祈ることしかできなかった徴税人(ルカ18)にこそ目を向ける姿でした。なぜなら、イエス様自身も律法に定められた規定通りの神殿参りをできなかったからではないでしょうか。

 このお話が、私たちに告げていることは、イエス様が子どもの頃から偉大だったということではなく、むしろイエス様が「私は自分の父の家にいる」と告げ、「イエスは神と人々からの恵みを受けて、育っていった」ということではないでしょうか。すべてを創られた命の神は、神殿の中にだけ留まっている神ではありません。律法の規定通りにできない人たちを見捨て、切り捨てるような神ではありません。神と人々からの恵みは、お祭りの中でのみ与えられるものではなく、普段の日々の生活の中で与えられるものだ、ということなのではないでしょうか。

 私たちは今日も神と人々の間に生かされています。新しく始まった2022年、これから世界がどのようになっていくかは分かりません。誰も予想していなかったことが起きるかもしれません。しかし、どのようなことが起きても、神様の恵みは神殿の中、教会の中に、閉じこもってはおられません。私たちすべての人たちと共にあり、共に生き、働いておられます。強い者と弱い者をひっくり返す神の国の働きに、続いていく者として、私たちもここから歩み出していきます。

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