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1月30日 メッセージより

2022/01/31(月)
2022年1月30日メッセージ「マスクありでも仮面なしで」より
八尾東教会・平松洋一牧師
聖書 マタイによる福音書 6章1-15節
 「マタイ福音書」6章1節以下、イエスは「施し」「祈り」「断食」を例に、自分を偽りがちな人間の浅はかさを問題にしながら、私たちのあるべき姿を教えられました。信仰に基づく善い行いは、神の大きな愛によって生かされている者としては信仰の証しでもあり、大事にしたいことです。時に人に見られる行為であり、同時に人の目から隠されるべき行為ですが、その間を行ったり来たりしている中で、私たちは何を大事にしなければならないのでしょうか。
 2節には「施しをするときには、偽善者たちが人から褒められようと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹き鳴らしてはならない」とあります。原文では「偽善者」は俳優という意味があり、人に見られるために本来の自分でない仮の姿、仮面をかぶった様子が表現されます。また、「ラッパを吹き鳴らす」には虚栄心の表れ、見栄を張るという誰にでも覚えのある人間的な行動が表現されます。神は私たちがどう取り繕うともすべてお見通しです。隠れた所におられる神にそのまま見ていただくだけで良いのに、私たちは人の評価が気になってしまいます。隠すどころか、大通りの角に立ってくどくどと述べて、仮面を何重にも重ねてしまうのです。しかしイエスは、何重にも仮面を重ねなくてもよいといわれます。なぜなら神は仮面の下の本当のあなたの思いを、あなた自身をすべてご存知で、ありのまま向き合ってくれることを一番に望んでいるからです。覆い隠すように付け足す必要はないのです。そのことを教えるために、イエスは「祈り(主の祈り)」を教えてくださいました。
 「ガラテヤの信徒への手紙」4章6節に「あなたがたが子であるゆえに、神は『アッバ、父よ』と呼び求める御子の霊を、私たちの心に送ってくださったのです」とあります。祈りにおいて、私たちはまず祈りの聞き手である神を呼びますが、イエスはここで、幼い子どもがお父さんをパパと呼ぶように、親しみを込めて「アッバ」と呼びかけました。私たちもそうするように導かれています。また「あなたがたが子であるゆえに」ともありましたが、それは私たちは最初からその存在を良しとされているということです。神にとっては、あなたも仮面をかぶらなくても取り繕わなくても、本来的に素晴らしい存在なのです。マスクは英語で仮面という意味もあります。今は感染予防のためにマスクをする必要がありますが、神の前に自分を偽るマスク(仮面)は必要ありません。神は、自らマスクの下に隠してしまいがちな本当のあなたと出会いたいのです。それが、私たちの「大前提」なのです。

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