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2月13日 メッセージより

2022/02/13(日)
2022年2月13日 メッセージ「苦難は絶望には終わらない」より
牛田匡牧師
聖書 詩編  126編 1-6節、ローマの信徒への手紙5章 3-5節
 「涙と共に種を蒔く人は/喜びの歌と共に刈り入れる。種の袋を背負い、泣きながら出て行く人も/穂の束を背負い、喜びの歌と共に帰って来る」という今回の聖書の言葉は有名かもしれません。今、苦しみの只中にあり、涙にくれている人にとって、「今の涙はやがて喜びの歌に変えられるだろう」というのは、大きな慰めであり、希望です。日本には四季があり、水が豊かにありますので、春の種まきや田植えには、涙は縁遠いように感じますが、乾季には大地が干上がっているパレスチナでは、恵みの雨が降ってからでないと種まきが始められませんでした。たびたび干ばつに見舞われていた人々にとっては、種まきの時にも「本当にこのまま雨は降ってくれるだろうか」「この蒔いた種は無駄に終わってしまわないだろうか」と心配が絶えなかったのではないでしょうか。直訳では「涙の内に、種をまく」というこの詩は、人々に分かりやすい言葉だったのだろうと思います。
 神様からの特別の祝福を頂いていたら、涙がなくなり苦難がなくなるのでしょうか。またそれらを「苦しいと感じなくなる」のでしょうか。もちろんそんなわけはありません。あくまでも、苦しいことは苦しく、つらいことはつらい。けれども、そこで終わりではありません。私たちは神様からの愛を受けているからこそ、言い換えれば、神様が共に歩んで下さっているからこそ、苦難があっても絶望しない。苦難は忍耐を生み、忍耐は品格を、品格は希望を生む。そして希望は失望には終わらない、と聖書は告げています(ローマ5)。
 イエス・キリストは神の子として、苦難もなく、絶望もせず、不死身でも良かったかもしれません。しかし、そんな特別な存在は、果たして私たちの隣にいてくれるのでしょうか。むしろイエス様は確かに殺され、墓に葬られ、そして三日目に死から引き起こされました。そのことが私たちに告げていることは、私たちもまた今は苦難の中にあり、たとえ絶望していたとしても、決してそこで終わりではなく、その先があること、死からの引き起こしがあり、永遠の命があるということなのではないかと思います。涙の内に種を蒔いても、喜びの声をあげて刈り入れることのできる時が来ると、聖書は告げています。苦難と無縁の人はいません。イエス・キリストもそうでした。命の神はすべての人々と共におられます。その神様と共にあって、私たちはここから歩み出していきます。

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