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2月27日 メッセージより

2022/03/04(金)

2022年2月27日メッセージ「いつでも一緒」より

水谷憲牧師

聖書 マルコによる福音書 2章 1-12節

 脳卒中の後遺症か、体が麻痺して不自由な状態(中風)の人が、ある日4人の男によってイエスの元へ連れてこられた。会場の屋根を引っぺがして、担架でつり下ろされて。イエスが彼の病を、その原因と見られていた罪もろともに取り去られたのは、この4人の男が友人を治してもらうため屋根に穴をあけ、つり下ろしたというその大胆さや切実な思いに心動かされたからだったのか。しかし、屋根に穴をあけて大胆に割り込みをすることが、キリストへの信仰の篤さだとするなら、助けて欲しいものの割り込む勇気もない者は、どうしたらよいのか。12年間、長血の病に苦しんでいた女性も、重い皮膚病のために隔離されていた10人の人々も、直接イエスの前にひざまずいて願うことなどできなかったではないか。でもそんな彼らをもイエスはいやされた。だから、この話はむしろ4人の大胆な行動により「ああそこまでして友人を治して欲しいのか」とイエスが感心された、ということだろう。

 彼ら4人は、イエスの話を聞きたかったが中に入れなかったために、やむなく屋根をはがして中に下ろし、麻痺で動けない友人がイエスの話を聞きやすい場所を確保したというだけだったのではないか。彼らは、病気の友を独り置いたまま、自分たちだけイエスのところへ行くことができなかったのだ。イエスの見た彼らの「信仰」とは、人々の間に割り込んででも病を治してもらおうとする姿ではなく、病気や障害、様々な苦しみを抱えた者であっても「共にあらゆるものを同じように分かち合って生きてゆくのだ」という信念であり、イエスはそこにこそ心動かされたのではないか。イエスはこの病の人に「子よ、あなたの罪は赦された」と声をかけられた。あなたは既に罪から解放されている。なぜならあなたにはこの4人の友がいるからだ。彼らは何があってもあなたのことを決して見捨てず、あらゆる力を惜しまないであろう。あなたはたとえ体が動かなくとも、もはやできないことはなく、むしろ健康な体をもっている人でも必ずしも得ることのできない宝を、あなたは既に与えられているからだ。それは、あなたが今まで引け目に感じてきたであろう病が克服されていることを意味する。もしも本当に病が罪の結果であるとしても、病から解放されている以上、あなたは罪からも解放されているのだ。イエスは彼にそう伝えようとされたのではないか。

 キリストに手を差し伸べて頂くには、何とかして助けて欲しい! という切実な思いが必要なのは言うまでもない。しかし今日キリストが目を留められたのは、この4人の友人たちの「どんなことがあろうと俺たちは一緒に生きるんだ」という思いだったのだ。この5人の姿こそが、私たちのあるべき姿を指し示していると言える。私たちもこの友人たちの姿に倣いたい。また、この友人たちとそこまでの関係を作ることのできた、この中風の人のようでもありたい。

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