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4月10日 メッセージより

2022/04/16(土)
2022年4月10日メッセージ「表通りの子ろば」より
水谷憲牧師
聖書 マルコによる福音書 11章 1-11節
 イエス・キリストが平和の王としてエルサレムに入城された日にあたる「棕櫚の主日」。彼は今まで誰も背に乗せたことのなかった子ろばに乗っておられた。なぜ子どものろばだったのか。子ろばでないといけなかったのだろうか。
 ろばという動物は、戦争や狩りに使うために飼育されてきた馬に比べて、いわゆる日常の平和な仕事のために飼い慣らされてきた。知能や体力、忍耐力もすぐれており、砂漠地では馬よりも重宝されていたという。見た目に良い馬などよりも、よほど謙虚で従順な印象もある。しかし、神の目にはそれだけではだめだったのだ。大人のろばでも立派過ぎるのだ。低みに置かれた者、力のない者、何も持たない者をこそ高く用いられる神がキリストのエルサレム入城の御用のために選ばれたのは、まだ力もなく、仕事もできず、従順に飼い慣らされきっていないわがままな子どものろば。そのゆえに誰からもまだ目もむけられることのない子どものろばだったのだ。
 何の仕事もできなさそうな、非力な子ろばが表につながれていたからといって、普段なら誰も気にも留めなかっただろう。しかし、そんな何の役に立つかもわからんような、なきにも等しい者をこそ、神は大切なことのために用いられるのだ、というのが、これまで聖書が繰り返し繰り返し証しし続けてきたことなのだ。
 私たちが毎日いろんな小さな罪を積み重ねてしまうような、弱くつまらない者であっても、また私たちが様々な能力に秀でているわけではない、むしろ自分には何の取り得もないと思ってしまうような者であっても、神はそんな私たちをいつかこの子ろばのように、大事な役目のために必ず用いて下さる。神の役に立ちたいという思いさえ私たちにあれば、そんな私たちを神は見つけ出し、必ず招きに来て下さる。自分のことを卑下しすぎることなく、こんな私だから神様は招きに来て下さる、こんな私だからこそ、神はキリストの役に立つために連れて行って下さるんだと信じて、家の奥に閉じこもるのではなく、あえて表通りで神の招きを待つ者とされたい。

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