お知らせ

お知らせ内容

5月22日 メッセージより

2022/05/24(火)
2022年5月22日メッセージ「苦しみが喜びに変わる日を待ち望む」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 16章 12-24節
 「苦しみが喜びに変わる」なんて、あり得るのでしょうか。「そんなことはあり得ない」と言われそうです。聖書の中で、しばしば「嘆きが踊りに変えられ」(詩30:12)、「苦しみは喜びに変えられる」(ヨハネ16:20)と述べられているのは、裏を返せば、古代イスラエル民族がかつて奴隷であり、土地を持たない放浪の民であり、小さく弱く貧しい民族であったが故に、常に苦労のない時はなかったということでした。だからこそ、そのような神様の約束の言葉が必要でした。そしてイエス様と出会った後も、直接イエス様と接した弟子たちだけでなく、イエス様の復活の後の初代教会の人たちも皆、ずっと迫害などの苦労の中にありました。にもかかわらず、彼らは諦めることなく、絶望して自暴自棄になることもなく、「苦しみが、喜びに変わる日が来る」と信じて、歩んでいました。それこそが、イエス・キリストが「十字架にて殺されから、3日目に死から引き起こされて、今も生きて全ての人と共におられる」ということなのではないかと思います。
 「今の苦しみは、やがて喜びに変わる」という言葉だけを取り上げると、ともすると現在のハラスメントを容認する言葉のように、受け取られてしまいかねません。音楽でもスポーツでも、仕事の上でも、「苦しい我慢や、忍耐の末にこそ、成功がある」「この成果を出せたのは、あの厳しい指導のおかげ」と思われて来たのではないかと思いますが、その結果は自分が受けてきたハラスメントを、次の世代にも押し付ける「ハラスメントの連鎖」と、たましいが破壊されて生きる意欲を失い、絶望し自暴自棄に走る人々の姿なのではないでしょうか。苦しみ自体に意味があるのではありません。また「それ自体を求めなさい」と言われているのでもありません。むしろ求めていなくても日々に周りにあふれている様々な苦しみを前にする私たちに、神様は「私はいつも一緒にいる。あなたは一人じゃないから大丈夫」と語りかけてくれているのではないでしょうか。苦労の意味は「〇〇のためだ」と他人から与えられるものではないはずです。何故、今こんな苦しみが与えられているのか、たとえすぐには分からなくても、時には数年後、数十年後であったとしても、「あの時の苦労は、このためだったんだ」と自らの内に気付くことがある、意味づけすることができる時が来る。それが真理の霊によって導かれた「苦しみが喜びに変わる日」なのではないかと思います。苦しみが喜びに変えられる日が必ず与えられることを待ち望みつつ、私たちは今日も、共にいてくださる神様に導かれながら、歩みを進めていきます。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135