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5月24日 メッセージより

2020/05/29(金)

2020年5月24日メッセージ「立ち上がって大声で」より

水谷 憲 牧師

聖書:ヨハネによる福音書 73739

 大阪でも非常事態宣言が解除された。コロナ以前のあの慌ただしい社会に戻ることが果たして適切なのかどうかはともかく、国民一律10万円という特別定額給付金、まだ申請書すら届いていない。だめだこりゃ。その特別定額給付金を装った不審な電話やメールが確認され始めているという。詐欺師の方がよっぽど対応が早い。なお、このような特殊詐欺、そもそもの始まりは高齢者の家などに電話を掛け、電話に出た人に自分の息子や孫だと思わせて、指定した金融機関の口座に現金を振り込ませるという「オレオレ詐欺」であった。

 ところで、パーティーのようながやがやしている中にいても、自分の名前が聞こえるとピクッと反応してしまったり、電車の中でも遠くのグループの会話が耳に入って気になったりすることがある。それは「カクテルパーティー効果」と呼ばれ、雑音の中でも音や声を聞き分ける耳は、5ヶ月くらいの胎児でさえも既に備えられているという。井深大(いぶかまさる)の著書によると、母親の子宮の中は、胃や腸の音で意外と騒々しいのだが、胎児は四六時中耳を澄ませて、内外の音を一生懸命に聞き分けようとし、その中でも、胎児は母親の声を熱心に聞こうとするのだそうだ。

 本日の聖書の冒頭に記されている「祭り」とは「仮庵祭」というイスラエルの三大祭りの一つ。最後の日、その活気に満ちた様子やにぎわい方は相当なものであったろう。そんな中、イエスは立ったまま(立ち上がって)大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私のところに来て飲みなさい。私を信じる者は、聖書が語ったとおり、その人の内から生ける水が川となって流れ出るようになる。」祭でにぎわっている人の声や物音に負けぬよう大声でしゃべった、ということか。何か大声で叫ばずにはおれない何かがあったのか。イエスは大声で、誰に、何を呼びかけたかったのか。

 「渇いている人は誰でも、私のところへ来て飲みなさい」。渇いている人とはどんな人か。ヨハネ4章のサマリアの女との逸話のごとく、ここでいう「渇き」が肉体的なものでなく、心あるいは魂の渇きを意味するのならそれは、これから自分はどう生きたらいいのか、自分のこんな考えは本当に正しいのか、自分はこれでいいのかなどと悩んでいる人ではないか。自分の心や魂を満たす何かを求めていながらも、受け止めてもらえる場を持たないためにどうしていいか分からず周りに流されている人々は、今でも、この世にあって本当にたくさんいるに違いない。祭の喧騒の中で立ち上がり、大声で言ったイエスの言葉は、人々と共に祭を楽しんでいるように見えても、魂においては満たされない思い、飢え渇きをおぼえている一人一人に対する呼びかけだったのではないか。そしてイエスは今でも、ひそかに飢え渇きをおぼえて悶々としている私たちに大声で呼びかけ続けてくれているはずだ。

 ただ残念なことに、私たちはそのイエスの呼びかけの声に気づくことがなかなかできないでいる。しかし私たちには、雑音の中でも母親の声を聞き分ける胎児と同じく、イエスの声を聞き分ける耳が与えられている。見た目に華やかで誘惑の多いこの世にあろうとも、イエスの呼びかけを聞き分けることが私たちにはできるはずだ。偽りの「オレオレ!」という声に惑わされず、本物のイエスの呼びかけの声に集中していきたい。

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