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9月15日 メッセージより

2024/09/15(日)

2024年9月15日 敬老の日礼拝メッセージ

「神の愛を感じる時」より

牛田匡牧師

聖書 エフェソの信徒への手紙 3章 14-21節

 「あなたは今まで、神様の愛を感じたことがありますか」と尋ねられたら、何とお答えになるでしょうか。「愛の神」「縁結びの神」ならばともかく、「神の愛」と言われても、何のことやら分からないかもしれません。これまでの人生を振り返った時に、自分の力や計画、努力に基づいて、歩んで来られたことも多いと思いますが、その一方で「ご縁」とか「運」としか言いようがないような、そういうものも感じられて来た方もおられるでしょう。誰もが老いていきます。若い頃には自分で出来ていたことが、次第に自分で出来なくなっていきます。「何の役にも立てない自分は、他人に迷惑をかけている」と感じられるかもしれません。しかし、自身の小ささや弱さに気付いた時、実はこれまでの道も様々な人たちから、支えられ、与えられて来ていた道だったのだということに改めて気付くことが出来るのではないでしょうか。そしてそれは、私たちの命を根源から支えてくれている神様に対しても同じです。

 今回の聖書の言葉は、神様の私たちに対する慈しみがどれ程大きいか、ということが様々に表現されていました。人間が神に祈り、そのお返しとして、神が応えてくれるのではありません。全ての命の創り主である神は、その創られた被造物の一つ一つを大切にされます。その神の思いがどれほどであるかを、私たちは計り知ることは出来ません。確かに生きている中では、嬉しいことだけではなく悲しいことも、不幸なこともたくさん起こります。「どうして、自分はこんな状態になったのか。神に見放されたのか」と問うことは、古代の人たちも同じでした。しかし、「神はどこにいるのか」と捜し続けても、神は見つかりません。なぜなら私たちの前に神がいるのではなく、神の中に私たちがいるからです(詩編1395)。私たちが見ることが出来る形で神がいるのではなく、私たちが知ることがはるかに及ばない形で神は存在しています。私たちはただイエス・キリストの言葉と振る舞い、姿、生き様を通して、神を知ることが出来ます。「神、常に共にいます」。全ての命は神様の大きな御手の中にあり、神様はいつでも一人一人の方と共におられます。神の愛を感じる時……。それはそれぞれの方のこれまでの歩みの中で、その時々に確かにあったでしょうし、また今日、今ここでも、今を生かされている私たちは、神の愛の中に生かされています。そのことに信頼して、今日も神様によって導かれながら、歩み出して行きます。

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