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11月24日 メッセージより

2024/11/24(日)

2024年11月24日メッセージ「小さい人はどこにいるか」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 25章 31-46

 今回のお話は、いわゆる「最後の審判」の話でした。これは「マタイによる福音書」の25章の末に配置されていて、続く26章からは、いよいよイエス様が十字架へと架けられて行く「受難物語」です。そのためにイエス様の宣教活動の最後、まとめとして25章が書かれているとも言えますが、24章の終わりから、イエス様が弟子たちに語られたのは、主人の期待通りの良いことをした人と、逆にそれらをしなかった悪い人とが対照的に語られている数々のたとえ話でした。ですが、そこで共通していることは、期待されている何かしらのことを「やるか、やらないか」の以前に、そもそも「気付いているか、気付いていないか」、「感性を持っているか、持っていないか」ということなのではないかと思います。

 「最後の審判」の場面で、王は人々に「私が飢えていたときに食べさせ、喉が渇いていたときに飲ませ、よそ者であったときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに世話をし、牢にいたときに訪ねてくれた」かどうかによって、人々を右と左に分けていきます。そして、それらの自覚がなく、「いつ私たちは、あなたが飢えたり、渇いたり、よその人であったり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お仕えしたでしょうか/しなかったでしょうか」と尋ねる人々に対して、「この最も小さな者の一人にした/しなかったのは、すなわち、私にした/しなかったのである」と王は答えています。つまり、言い換えれば、「あなたの目の前、隣に小さい人が存在していることに気付いていますか」、「その人はあなたの助けを必要としていますよ」(ルカ112937)ということなのでしょう。

 イエス様は弟子たちを、村々に派遣する際に、鋭い牙や爪を持つ狼とは対照的に、力の弱い羊として、「ヘビのように感性鋭く、鳩のように率直に行動するように」と言われました(マタイ1016)。目に見える力に頼ることができないからこそ、感性の鋭さが備わっているのであって、その感性を大切にしなさい、と言われているのだと思います。「小さい人はどこにいるか」……。小さい人、あなたの助けを必要としている神は、あなたの目の前、隣におられ、いつでもどこにでも、今ここにもおられる。そんな「小さい人」と共におられる神様によって、力を与えられ、また導かれながら、私たちは目の前にいる小さい人を大切にする歩みへと、歩み出して行きます。

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