お知らせ

お知らせ内容

2月2日 メッセージより

2025/02/04(火)

2025年2月2日 メッセージ「子どもの目に映るもの」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 21章 12-17節

 

 イエス様が十字架に架けられていく、いわゆる「受難」への道のりの冒頭にあるのが、「エルサレム入城」と「神殿から商人たちを追い出す」というお話です。エルサレムにあった神殿には、様々な国からユダヤ人たちがお詣りにやって来ていましたので、そこには様々な通貨が交錯していました。しかし、神殿で献げられる貨幣は特別に定められており、人々は両替手数料を支払ってでも準備する必要がありました。また律法に定められた「いけにえ」として献げる鳩などの動物も、神殿の境内では売られていました。恐らく今日の縁日の屋台のように、境内には多くの商人たちの台が並んでいたのでしょう。神殿詣でに来る人々は否応なく、そこで両替や購入をするわけですから、商人たちも神殿側も丸儲けの搾取構造です。もしも、そのような神殿権力体制に対して、反対するような人がいたら、神殿の権力を笠に着て、「反対する者は呪われよ」とでも言えば、反対者たちは何も言えなくなってしまいました。そのような時代の中で、イエス様は腐敗した権力者たちに対して真っ向から、「否」を突き付けたわけです。イエス様がエルサレムに入城された際、神殿の外では、「ダビデの子にホサナ」「救い主、万歳」と叫んでイエス様のことを大歓迎した人々も、神殿の境内では、何も言えなくなっていました。そこではたとえ不満があっても、不本意であっても、律法や慣習に定められている通りにしなければ、今よりももっとひどい目に遭わされるかもしれない。そのような恐怖感が人々を支配していたのだと思います。今日の言葉で言えば、ハラスメント状態にあったということでしょう。しかし、そのような物言えぬ状況、自分ではどうしようもない閉塞感、束縛された状況に、解放の糸口をもたらしたのがイエス・キリストの言葉と振る舞いでした。そしてまたそのようなイエス様の姿に素直にびっくりして、無邪気に「ダビデの子にホサナ」と叫ぶ子どもたちの声でした。

 子どもたちの目に映るもの。それは己の立場や、損得・利害関係などの様々なしがらみに関係なく、正しいものに正しいと言い、おかしいものにおかしいと言うこと。自分の周りにいる隣人の手をとり、必要な手当てをすることなのだろうと思います。そこにこそ、本当の解決。真実の命へと至る道があるのではないでしょうか。子どもたち、社会の中で弱く小さくされている人たちとの関わり合いを通して、私たちはまた本当の命へと続く歩みを教えて頂きながら、今日もまた生かされて参ります。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135