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5月4日 メッセージより

2025/05/04(日)

202554日 礼拝メッセージ「それでも生きる」より

牛田匡牧師

聖書 列王記 上 17章 824

 今回のお話は紀元前9世紀、預言者エリヤによるその日の食料にも事欠く貧しいやもめの親子の「小麦粉と油が尽きない」という物語と、その「子どもを生き返らせる」という2つの奇跡物語でした。前半の物語では、今から最後の食糧を食べて、後は死を待つのみという親子に対して、エリヤは「まず私に食べさせ、それからあなたたちが食べなさい。そうすれば粉も油も尽きることはない」と言い、その言葉に従った親子は、彼と共に命を得ました。その後、その母親の子どもが大病を患い死んでしまいます。母親はそれをあたかも彼のせいであるかのように言ってエリヤを責めますが、彼はその遺体を抱いて神に向かって懇願の叫びをあげ、その結果として子どもは生き返ったというお話です。

 これらのお話を読む時、彼は預言者だったから怖いものはなく何でもできたのではなく、彼もこの親子と同じく、飢えていて他人からパンをもらえなければ生きられないような弱い存在だったことを覚えたいと思います。彼女に声をかけた時、無視されたり、断られたりしたら、彼は生きていなかったでしょう。また彼女の子どもが死んでしまい、彼女からも文句を言われた時も、「私のせいじゃない」と言い返したり、またその家を出て行きたいとも思ったりもしたことでしょう。匙を投げることも、諦めることも、無視することもできた。にも拘わらず、彼は彼女や神と向き合うことを選び、その結果、子どもは生き返ったと伝えられています。

 これらのお話から私たちが受け取るのは、たとえ先行きの見えない、絶望としか思えないような中にあっても、孤独に留まらずに、他人と神と関わり続け、それでも生きるということ。たとえ文句や嘆き、言葉にならない呻きであっても、コミュニケーションを続ける中で、新しい気付きが与えられることがある。新しい目覚めがある、新しく生き直せることがあり得る、ということではないかと思います。神は人間を一人で生きる者としては作られませんでした(創世記218)。私たちは今日も神様から命を与えられて生かされている者として、たとえ困難や絶望の中にあったとしても、神と共にありながら、また周りの人たちとも共にあって、それでも生かされて参ります。

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