お知らせ内容
6月8日 ペンテコステ・花の日こどもの日礼拝メッセージより
2025年6月8日 ペンテコステ・花の日こどもの日礼拝メッセージ「みんな神様の子ども」より
牛田匡牧師
聖書 ヨエル書 2章 23節 - 3章2節
日本には「子どもは天からの授かりもの」ということわざがありますが、昔から新しい命が生まれるかどうか、また生まれてからも無事に大きくなるかどうかは分からない、ということで昔から人々は神様に願ったり、祈ったりしてきたのだろうと思います。天から授かった命、神様からお預かりしている命だから、大切に育んでいきたいと願う親心というものが、確かにあるのでしょう。そもそも今の自分が生きているという奇跡の背景には、たくさんのご先祖様の存在があるわけで、それらを思うと本当に不思議な「ご縁」と言いますか、天の導き、神様の働きがあってこその命なのだと思わされます。そういうわけですから、みんな「神様の子ども」、神様によって命を与えられ、生かされているということには変わりはないと言えるでしょう。
今日はペンテコステ、聖霊降臨日です。十字架で殺されたイエス様が、3日目に死から引き起こされたイースター。そのイースターから40日間、イエス様は弟子たちと共におられましたが、その後、天に昇って行かれました。でも、自分の姿は見えなくなる代わりに、聖霊を与えるという約束通りに、50日目のペンテコステの日に弟子たちに聖霊が与えられた、今日はそのことを記念する日です。「聖霊が与えられた」とは、聖書の中にも「激しい風」や「炎のような舌」と言われたり、また「鳩のように」と言われたり、様々なものにたとえられて表現されていて、具体的にはよく分かりませんが、一言で言えば「私たちが決して独りぼっちではなく、神様が共にいて働いてくださっていると感じさせてくれる存在」ということではないかと思います。
私たちはある時は、神様が一緒にいてくださると感じ、確かに祝福され、たくさんの恵みを頂いていると感じて感謝する。けれども、またある時には自分は神様から見捨てられ、見放されたから不幸になってしまった、それも元はと言えば自分が悪かった、自分の罪のせいだと落ち込んだりもする。ですが、振り返って眺めてみれば、神様が働いていない時なんてなかった、と気付くことが出来るのではないでしょうか。イエス様の死からの引き起こしが、死は死に終わらず、絶望は希望に変えられることを証ししていたように、聖霊が与えられたペンテコステの日、私たちは目には見えなくても、全ての命を作られた神様の息吹が、全ての命の中に与えられていることを、改めて覚えさせられて、導かれていきます。