お知らせ内容
8月3日 メッセージより
2025年8月3日 平和聖日礼拝メッセージ「自身の中の差別する心」より
牛田匡牧師
聖書 マルコによる福音書 7章 24-30節
今回のお話は、ティルスの地方で、一人の女性がイエス様に「娘から悪霊を追い出してください」と依頼したお話でした。しかし、イエス様はその頼みを聞くどころか、「まず、子どもたちに十分に食べさせるべきである。子どもたちのパンを取って、小犬に投げてやるのはよくない」と言われました。これは「自分はイスラエルの人々、ユダヤ教の人々を救う使命を受けているのであって、異邦人で異教徒であるあなたや、あなたの子どものことは知りません。関係ありません」ということです。「犬」というのは、古代イスラエル社会では、豚やハゲワシと並んで、ケガレている動物の代表でした。そのために「小犬」と言えども、それは相手を侮辱する言葉でした。なぜ、イエス様は、そのように言われたのでしょうか。ティルスは、大昔から繫栄していた大都市でしたので、ガリラヤの人たちにとっては「ティルスの人」というのは、金持ちで、自分たちから生産物をまきあげていく憎らしい相手という風に理解されていたのかもしれません。また当時のユダヤ人社会では、異邦人・異教徒を汚れた罪人とみなして、交流をしないということが当たり前でしたし、男性の足元にひれ伏して、物事を依頼できるのも男性だけでした。イエス様が異邦人の女性に対して、自分から語りかけるのではなく、語りかけられ依頼されるのは、このお話だけです。そのような非常識な女性の言動に対して、イエス様も思わず、差別的・侮蔑的な「小犬」という言葉を用いて拒否してしまったのだろうと思います。
それでも、この異教徒のギリシア人女性の「主よ、食卓の下の小犬でも、子どものパン屑(くず)はいただきます」と機知に富んだ返答によって、イエス様は、イスラエルの子どもたちだけが救われるという偏狭な民族主義、差別する心から解放されて、命の神の懐の深さ、気前の良さ、その豊かさを知り、自らの中にあった境界線が打ち壊されていきました。
平和へと思いを馳せるこの8月。イエス様が隣人を警戒し、敵視するような差別する心から解放され、相手を大切にする生き方へと変えられていったように、私たちもそれぞれに自分の中にある差別する心、人と人とを区別し境界線を引く心、それらから解放され、隣人たちと友達になっていくことができるように。そして自分たちの身の回りから、平和を作り出していくことができるように導かれますように。全ての命を大切にされる神様と共にあって、歩みを進めて参ります。