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8月10日 メッセージより

2025/08/10(日)

2025年8月10日 メッセージ「今こそ恵みの時、救いの日」より

牛田匡牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 5章 14節-6章2節

 今回、何度も登場している「和解」という言葉があります。人と人との関係で考えてみても、何か相手に対して不都合なことや、望ましくないことがあると、後ろめたく感じたり、隠したり、嘘をついたりしてしまって、その結果コミュニケーションが滞ってしまうということがあるかと思います。そのような断絶した関係性を修復するのが、「和解」というわけです。古代イスラエル社会でも日本でも、大昔から「因果応報」の考え方がありました。良いことが起こるのは、良いことをしたから、神様との関係が良好だから。一方で、悪いことが起こるのは、いつか誰かが悪いことをしたから、神様との関係性が悪く泣ているから、と考えられていました。しかし、イエス様はその十字架での死と復活によって、そのような神と人との隔絶した関係そのものに終止符を打たれました。「一人の方がすべての人のために死んでくださった以上、すべての人が死んだのです」(514)。そして今や、全ての人はキリストと共にあり、新しく造られた者として「復活の命」を生かされているのだと述べられています。

 私たちが生活している現実の社会は、決して良いことばかりではありません。「どうしてこんなことが起こるのか」「何か悪いことをした罰が当たったのか」「神様に嫌われたか、それとも呪われたか」などと考えてしまうこともあるでしょう。しかし、神の恵みが全く感じられないような、そのような時であっても、復活の神の命は全ての人の中に生きています。神の命を受けているからこそ、今日も、今も生かされている。復活の命を、共に生かされている者は、自分が決して独りではなく、神様から見放されているわけではない、ということを知っています。だからこそ、「恵みの時、救いの日」はどこか遠くにあって、いつかは来てほしいと願う日なのではなく、いつでも、どこでも、「今こそが恵みの時、救いの日だ」と言えるのです。

 戦禍や自然災害の被害の止まないこの世界の中で、「恵み」とは何か、また「救い」とは何か。そのことを考え、受け止め、また自分にできることを考え、自分がなすべきことを探る。それが今、求められているのではないかと思います。戦争と平和について思いを馳せつつ、また地震や豪雨などの災害の被災地にも思いを寄せつつ、私たちは身近から小さな平和を作り出す務めへと今日も導かれていきます。

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