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8月17日 メッセージより

2025/08/17(日)

2025年8月17日メッセージ「他人事か、自分事か」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 9章 35節-10章16節

 今回のお話は、イエス様が弟子たちを宣教に派遣したというお話でした。「宣教」というと、「教えを伝える」ことのように誤解されるかもしれませんが、「天の国の福音を宣べ伝え、ありとあらゆる病気や患いを癒された」(935)とあるように、「福音の宣教」と「病の癒し」はセットであり、同義でした。目の前で「病が癒され、死んだようになっている人が引き起こされ、規定の病を患っていた人が清められたと宣言され、悪霊に取りつかれていた人が悪霊を追い出された」(110:7-8)、それがまさに天の国の実現という「福音(良い知らせ)」であったわけです。そして、そのような能力を与えられた弟子たちもまた、あなたたちも「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(8)と言われている通りに、かつてはそれらを無償で受けた人たちに他なりませんでした。

 弟子たちを派遣するにあたり、イエス様は「蛇のように賢く、鳩のように無垢でありなさい」(10:16)と言われていますが、蛇は体全体で地面を這いまわり、全身で周囲の状況を感じ取るように見えますので、そのように「感性鋭く」、鳩のように純粋で率直でありなさい、と言われているのだと理解できます。イエス様が弟子たちに伝えた、宣教において一番大切なものは何かと言うと、それは「人の痛みに共感する感性、センス」ということだったのではないかと思います。イエス様も弟子たちも、ろくに何も持っていないような状態であったからこそ、同じような状況の人たち、その日の糧を得るのに腐心している人たちの存在や、その心配事に気が付き、共感し、「放っておけない」と言って近づき、声をかけ、そして手を取り、持っている物を分かち合い、共に食事をしたのだと思います。

 人は一人では生きられませんが、隣に友がいれば、たとえ足りないものがあっても、互いに分かち合い工面し合って、生きていくことができます。イエス様が他人事を自分事として感じ、友のない人の友となったように、一人一人がつながり合い、互いの命が生かされ、大切にされる天の国は、わたしたちが「今ここに」(ルカ1721)実現するもの、神様と共にあって実現し得るものだということを、聖書は私たちに告げています。自分自身の中に終始してしまうのではなく、お互いに「自分事」の範囲を少しずつ広げていき、共に活かし合える天の国を、今日ここにも実現していくように、私たちは一人ひとり用いられていきます。

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