お知らせ

お知らせ内容

8月24日 メッセージより

2025/08/26(火)

2025年8月24日 メッセージ「もらうより、分け合う方がよい」より

牛田匡牧師

聖書 使徒言行録 20章 17-35節

 パウロはエフェソの教会の長老たちに対するお別れの最後に、「私がいつも身をもって示してきたように、主イエスご自身が『受けるよりは与えるほうが幸いである』と言われた言葉を思い出すように、労苦して弱い者を助けなさい」(35)言いました。この言葉は、聖書の中ではここにしか登場しませんし、パウロは十字架につけられる前のイエス様とは一緒に行動していませんでしたから、この言葉はパウロが直接イエス様の口から聞いた言葉なのではなく、当時の教会の中で広く語り伝えられていた言葉だったのかもしれません。

 確かに、イエス様の生涯を思い返しますと、「人々に様々なものを与え尽くした上で、最後には自分自身の命をも奪われてしま」いましたから、この言葉はイエス様の生き様を表わしているように理解されて来たかもしれません。しかし、「人に与える」ためには、そもそも自分が人に与えられるだけの何かを持っていなければなりません。ガリラヤ地方の貧しい農民や漁民たちと共に生きられたイエス様は、クリスマスにお生まれになった時から、何も持っていませんでした。仕事がなく、お金もなく、その日の食べ物にも着る物にも事欠くような生活の中で、それでも「求め続けなさい、そうすれば与えられる」(マタイ7:7)と、諦めずに願い求め続けること、そこにこそ神様が共におられ働かれるということを、イエス様はその言葉と振る舞いを通して、人々に伝えられていました。ですから、この「受けるよりは与える方が幸いである」という言葉は、むしろ「受けることより、すでに受けているものを互いに分かち合うことのほうに、神様からの力が働いている」(本田哲郎訳)と理解する方が、イエス様や弟子たち、またパウロとその周りの教会の人たちの実状に近いのだろうと思います。

 私たちが暮らしていくためには、食物や着物など具体的な物やお金も必要ですが、それらによって全てが解決できるわけではありません。また、お金や物がなくても、それぞれの人が持っているもの、思いや祈りを分かち合うことによって、互いに支え合っていくこともできます。そして平和というものも、そのようなつながり合いの中にこそ、神様が共に働かれて作られていくのではないかと思います。私たちが持てるものは小さいですが、それぞれに与えられているものを分かち合うことを通して、神様によって豊かに用いられて参ります。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135