お知らせ内容
9月28日 メッセージより
2025年9月28日メッセージ「7の70倍まで赦しなさい」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 18章21-35節
今回のお話は「赦し」についてでした。「きょうだいが私に対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか」というペトロの問いに対して、イエス様は「7の70倍まで赦しなさい」(21-22)と答えられたというお話でした。そしてその後には、王に対して莫大な借金のあった家来が、王から借金を帳消しにしてもらうという寛大な措置を受けたにもかかわらず、自分に借りのある仲間に対しては、大変厳しく接したために、主君の怒りを買って引き渡されたというたとえ話が続けられました。このお話は単に「誰だって失敗することはあるのだから、相手の話を聞いて、赦すことが大切だ」と私たちに告げているのでしょうか。
そもそも、このお話に登場する2人の家来たちは、「きょうだい」や「仲間」と呼べるような対等な関係ではありませんでした。王に莫大な借金のあった前者は社会の極一部の支配階級の権力者側にいた家来であり、彼から借金をしていた後者はそれらの権力者たちによって踏みつけられていた庶民の一人でした。そして前者の借金、負債というものは、人間に対するものではなく、神に対する負債でした。それは人間の力では決して返すことができないものです。王、神の方もそのことを分かっていました。だからこそ家来の懇願の言葉に耳を傾け、放免したのでしょう。一方で王から負債を帳消しにされたその家来は、自分に対して借金のある仲間の声に耳を傾けることはありませんでした。つまり、自分よりもさらに弱い者を踏みつけたということです。そして神はそんな彼を赦しませんでした。
これらのお話が伝えていることは、幾度となく失敗を繰り返し、道を踏み外す私たちに「ひたすら赦し続けなさい」ということではなく、むしろ、互いの弱さを分かり合いながら、対等な関係を持つ者同士として共に生きる。決して、どちらかが上に立ち、他方を踏みつけるような関係であってはならない、ということなのではないかと思います。なぜなら私たちは皆、神様から決して返しきることの出来ないほどの大きな恵みを頂いてこそ、今日も生かされているのだから。「7の70倍まで赦しなさい」。それは周りにいる人たちと、共に生きるということ。「共に生きることができる」ということを諦めないことなのではないでしょうか。今日も私たちは神様からの大きな恵みを頂いて、生かされていることを思いながら、イエス様に従う道へと押し出されて参ります。