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2月2日 メッセージより

2020/02/05(水)

メッセージ 「神のいます所」 牛田 牧師

聖書 ヨハネによる福音書 2章 1322

 

 「神のいます所」とは、要するに「神様ってどこにいるの?」ということです。神様は建物としての教会堂やお寺や神社にいるのでしょうか。エルサレムの都に神殿を築いたソロモン王でさえ、「神は果たして地上に住まわれるでしょうか。天も、天の天も、あなたをお入れすることはできません。まして私が建てたこの神殿などなおさらです」(列王記上827)と言っています。この世界の全てを創られた神様は、人間が石や木で造った建物の中に留まっておられるようなお方ではありません。しかし、私たちはつい目に見える外見ばかりに心を奪われてしまいがちです。立派な建物には何かがあると思い、お金や地位や名声を持っている人は、立派な人だろうと考えがちです。なぜなら、それらはとても分かりやすいからです。

 今から2000年前の古代イスラエルでは、定められた律法をきちんと守って、身を清く保っているかどうかが、人を判断する上での明確な指標でした。そのために人々はエルサレム神殿にお参りして、献金し、動物の生贄(いけにえ)、犠牲を捧げて、罪穢れを贖い清めていました。しかし、お金のない人たちにはそのようなことはできません。当時の宗教指導者たちは、自分たちに有利なように権力構造支配体制を維持するために神の名を語りました。イエス様はそのことを鋭く批難し激しく怒神殿から商人たちを追い出されました。そのような献げ物の制度が、神様が顧みられている貧しい仲間たちを、神殿から斥けてしまってい

 「あなたがたは神の神殿であり、神の霊が自分の内に住んでいることを知らないのですか」(1コリント316)。全ての人はイエス・キリストにつながった存在として、それぞれの身体が神殿であると言われています。「たくさん献金したら、神様は豊かに祝福を与えて下さる」というのは、分かりやすい理屈です。しかし、それでは献げたくても献げられない人はどうなるのでしょうか。献金できなければ祝福されないのか……。それこそイエス様が真正面から反対されたことでした。「献金できない人、貧しい人、律法を守れない人、それらの人々こそ、本当に神様から顧みられ、力付けられ、祝福されている人たちだ。一人一人の中に神様がいる。自分自身が神殿として、自分を大切に、そして隣の人と互いに大切にし合って行こう」。それがイエス様のメッセージでした。「神様はどこにでも」「全ての人の中に/共に」……、それが「神のいます所」です。

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