お知らせ内容
12月7日 第2アドベント礼拝メッセージより
2025年12月7日 第2アドベント礼拝メッセージ「神は決して諦めない」より
牛田匡牧師
聖書 エレミヤ書 36章 1-8, 22-28節
今回のお話は、紀元前の6世紀頃の南ユダ王国、王に対して耳の痛い神からの預言を伝えた預言者エレミヤと、その弟子のバルクの物語でした。エレミヤは神から預言の言を記して、王に伝えるように命じられ、バルクに口述筆記させて巻物を完成させます。そしてその言葉を聞いた国の高官たちは、巻物を預かって王にも読み聞かせましたが、王は聞いたそばから巻物を切り裂いて、暖炉で燃やしてしまいました。エレミヤとバルクはその報せを聞いて落胆したでしょう。しかし、その二人に対して、「もう一度、別の巻物に全ての言葉を書き記せ」と神からの命令が下り、二人は再び巻物を完成させました。このお話が、現代を生きる私たちに告げていることは何でしょうか。それは「神の言(出来事)は決して無くならない」「神は人々の救いを決して諦めない」ということ、ではないでしょうか。
長年取り組んできたものが、ある日突然に失われてしまうことがあります。そのような時、私たちはそれを諦めることもできますし、また一方で「もう一度やってみよう」と思うこともできます。もちろん、自分一人の力では無理かもしれないけれど、仲間たちと一緒ならば、何とかやれるかもしれない。そのような「何とかやれるかもしれない」が積み重なり、連なり合って来たからこそ、人類の歴史は形作られて来たのだと思います。一見すると、「もう駄目だ」「もう諦めた方がいい」という時でも、それでも「諦めないで、もう一度やってみよう」と思えるのだとすると、それは何故でしょうか。そこには私たち一人ひとりのことを、決して諦めることのない神様が、共におられて働かれているからなのではないかと思います。様々な困難や、理不尽なことは、いつの時代にも多くあります。数年間や数十年間では成果が見られないこともあります。預言者エレミヤやイザヤに告げ知らされていた神の言は、彼らの数百年後の紀元1世紀に、生きた「神の言」イエス・キリストとしてお生まれになりました。この地上を歩まれたその生涯は十字架で閉じられましたが、その命はそこでは終わらず、死から引き起こされて今も、全ての命と共に生きて、働かれています。いつの時代にあっても、神が命を諦めることは決してありません。命の神に支えられながら、私たちは今日もここから歩みを進めて参ります。





