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3月15日 メッセージより

2026/03/15(日)

2026年3月15日メッセージ「神は留まってはおられない」より

牛田匡牧師

聖書 マルコによる福音書 9章 213節

 先日311日は、東日本大震災から15年目となる日でした。多くの命が失われたあの大災害のことは忘れることができません。一方で、今も世界では戦争が続けられています。とりわけ先月末から始められたアメリカとイスラエルによるイランとの戦争は、一向に収束が見られません。この時代の中にあって、聖書は私たちに何を語っているでしょうか。私たちは聖書から、何を聞くでしょうか。

 今回は「山の上で、イエス様の姿が変わった」というお話でした。3人弟子だけが、イエス様と一緒に山に登り、そこでイエス様が光り輝く姿になって、大昔の伝説の人物エリヤとモーセと出会った、という不思議なお話です。「山の上」で「雲の中」で「神と出会う」というのは、ヘブライ語聖書由来の場面設定でした。目の前で尋常じゃないことが起きているのを見たペトロは、非常に恐れ、どう言えばよいか分からず、「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです。幕屋を三つ建てましょう」と言いました(5-6)が、それは「ここに記念を残しましょう」ということでした。何か特別なことがあった場所に、記念碑を建てるというのは、世界中で大昔から行われていることです。そこに行けば、かつての特別な出来事を思い出す。縁起がいい。神からの特別のパワーが与えられる。それこそいわゆる「パワースポット」だということでしょうか。しかし、イエス様はそうではありませんでした。「ここに幕屋を建てて記念しましょう」「神の力が、自分たちに留まっていますように」というペトロの願いとは裏腹に、モーセとエリヤの姿は消え(8)、イエス様は弟子たちと共に山を下りました(9)。神は一カ所には留まってはおられない。どこかの誰かだけを特別扱いはしない、ということです。

 命の神はどこにおられるか。目に見えない神は、イエス様の姿と生き様を通して私たちの目に見える形となりました。その神の子イエス様は、決して山の上の「特別」には留まっておられませんでした。それ故、私たちはこの日常の中で、イエス様と出会います。たとえこの現実世界が、神様の御心に反して命を傷つけ続けている戦争が止まない世界であったとしても、それでもなおイエス様はその泥沼の中に共におられて、命を守るために懸命に尽くされている方々と共におられます。私たちは過去の「特別」を記念して覚えるのではなく、今のこの日々の命が与えられ生かされていること、それこそが特別であるということを、覚えて過ごして参ります。

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