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9月13日 メッセージより

2020/09/13(日)

2020913日メッセージ「今、命が私を生きている」より

牛田 牧師

聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 51021

 「ヨハネの手紙Ⅰ」を読んでいると、「暗闇と光」「悪と善」「死と命」など対立的な表現が多く、まるで「神を信じる自分たちは、この悪の世とは別に永遠の命を生きる」と言っているかのように読めてしまいます。何故そんなにも排他的で、自分たちを特別視するのでしょうか。その背景としては、この手紙が書かれた当時の教会内部での信仰理解を巡る対立と、それに伴って生じた多くの仲間たちの分裂、分離があったのだろうと考えられています。しかし、この地上を人として歩まれたイエス・キリストの価値観と生き様を思い返してみる時、この手紙から私たちが読み取るべきは、自分たち以外の人たちを断罪し、自分たちだけが永遠の命に特権的にあずかるということではないはずです。

 11節には「命は御子イエス・キリストの内にあります」とあり、続く13節には、あなたがたは「永遠の命」を「これから持つでしょう」ではなく、「今、持っている/持ち続けている」と現在形で書かれています。そもそも聖書に書かれている「永遠の命」とは、私たちの死後、時間的にずっと永続していく命のことではありません。むしろ時間という概念を飛び越えている「絶対的な命」、神様と結びついた「真実の命」です。生命の創り主である神様と結びついた「真実の命」、掛け替えのない唯一無二の「絶対の命」、それが「永遠の命」という言葉で表現されています。

 私たちは日々、神様から命を頂いて生きています。それは言い換えれば、むしろ「命が私たちを生きている」と言った方が、適切なのかもしれません。ですから全ての命が妨げられることなく、活き活きと生きられることが大切であり、そのような道を妨げることが、罪や不正として記されています。確かにこの世界には悪があり、多くの命が脅かされています。しかし、その中にイエス・キリストは来られて、「真実の命」「絶対の命」を生きる道を示して下さいました。今、私たち全ての命はそのイエス様の内に、イエス様と共に生きる者とされています。そのために私たちは他の人々を断罪したり、上から目線になったりせずに、生命の神から与えられる「絶対の命」が全ての人の中に息づいていることを覚えて、自他ともに全ての命を大切にして歩んで行くことができます。

 「今、命が私を生きている」……。新型コロナウイルス感染症のことをとっても、経済のことをとっても、私たちの生きている世界には、不安なことがたくさんありますが、命の神様はいつも私たちと共にいて下さって、今日も私たちを新しく生かして下さっています。

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