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10月18日 メッセージより

2020/10/18(日)
2020年10月18日メッセージ「国籍は天に、暮らしはこの場所に」より
牛田匡牧師
聖書 フィリピの信徒への手紙 3章5-21節

 『フィリピの信徒への手紙』は、獄中からフィリピの教会に宛てて送られたパウロの手紙です。『使徒言行録』によると、フィリピの教会はローマ帝国の植民都市として栄えていたフィリピの「町の門の外」(16:13)にありました。つまり、町を取り囲んでいる城壁の中には居場所が無い人々、町の門の中には入れてもらえない差別されている人たち、貧しく弱くされていた人たちが、その教会の大多数だったということです。さらにそこには高価な「紫布を扱う商人」も登場しますが、フィリピの教会の中には当時の世間の常識、血筋や身分、職業による分断を越えた、新しいつながり、イエス・キリストの価値観に基づいた連帯がありました。
 にもかかわらず、そのような共同体の中にも、きちんと律法を守れているかいないかによって、人を裁こうとする律法主義の価値観がたびたび入り込みました。それが獄中からパウロが涙ながらに手紙を書いた理由でした。律法主義を誇り、目に見える地上の事柄で人を裁くのはもう終わりにしよう。パウロは遠く離れたフィリピの仲間たちに何度も呼びかけ、続けました。「私たちの国籍(市民権)は天にあります」。現代では国籍や市民権は、自動的に与えられるような感覚がありますが、当時はそのようなことはなく、市民権は家計や血筋、特権によって与えられました。フィリピの教会は、町の門の外で集会をしていた程ですから、市民権を持っていない人の方が多かったのではないかと思います。
 そのような中で、「私たちの国籍は天にあります」という言葉は、日ごろ対等な市民として認められなかった被差別の人々に対して、「あなたがたも同じ天の国の市民権を持つ一人です」と告げただけではなく、「今この場所で同じ天の国の市民権を持つ者同士として、お互いに裁き合うのではなく、共に生きることが出来る」と人々を励ましたのでしょう。
 「国籍は天に、暮らしはこの場所に」。今、世界でも、日本でもコロナ禍によってますます格差と差別が拡がっています。毎週の礼拝を通して「私たちは一人ではありません」ということを心に覚えますが、それは「私と神様との関係」というだけではなく、この地上においても隣人たちと共に生きて行くということです。今日も神様は私たちと共にいて下さいます。イエス・キリストが身をもって示された価値観を、私たちも身につけて、今日もこれからも、この場所での暮らしを送っていくことができるように、私たちは変えられ、用いられて行きます。

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