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2月9日 メッセージより

2020/02/17(月)

29信教の自由を守る日(降誕節第7主日)礼拝

「まあ落ち着け」                                              水谷憲 牧師

聖書:ヨハネによる福音書 135―42

 本日の箇所は、ヨハネ福音書にてイエスが最初の弟子たちを獲得する場面。記述によると、イエスの初めての弟子は2人。一人は名前が出てこないが、もう一人はシモン・ペトロの兄弟アンデレであった。

 彼らは師であった洗礼者ヨハネに促され、イエスの後ろを付いて行った。イエスは師が「この方こそ神の子、神の子羊だ」と推薦した人物だから、きっと彼らはイエスに聞きたいことがたくさんあったに違いない。そんな彼らの心を見抜いたのか、イエスは振り返り「何を求めているのか」と問いかけられた。すると彼らは「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」。もっとましな質問ないんか。しかしそれは、歩きながらなんかでなく、イエスの滞在先に自分も一緒に行って、共に深くじっくりと話し合いたい、という思いから出た言葉だったのかもしれない。

 こんなやり取りの中にも、神と私たちとの関係のあり方が見えてくる。先に働きかけるのは、私たちではなくいつも神。神と対話し、御心(みこころ)を知ろうとするには、それなりの備えをせねばならない。「神様聞いて聞いて!」「神様何か早く言って下さい!」と慌てず焦らず、「主よ、お話しください。僕は聞いております」という落ち着いた構えが必要だ。それではじめて、私たちは神の御心(みこころ)を受け取ることができ、私たち自身もきっと変えられていくのだ。

 この2人の弟子の一人であるアンデレ。ヨハネ福音書を読む限りでは、ペトロがイエスに出会うことができたのは、このアンデレのおかげであった。にもかかわらず、彼は決して「自分こそが真の一番弟子」などと高ぶることもなく、ペトロやその他の弟子の陰に隠れてしまうことを不満に思うこともなかった。むしろ、彼はイエスとの出会いによって、さりげなく神と人とをつなぐことを喜ぶ人物へと変えられたのだ(ヨハネ6章、12章)。このようなアンデレの姿は、人と神・人と人との関係をつなぐどころか断ち切ってしまいがちな私たちにとって、非常に重要なモデルである。

 理不尽な世の中にただ失望するだけでなく、その中に神の御心(みこころ)を積極的に見ようとしたい。しかしその一方で、自分よりもまず神様から・まず隣人からという謙虚な心を持って慌てず、落ち着いて神様に向き合っていきたい。

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