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10月25日 メッセージより

2020/10/25(日)

20201025日 メッセージ「人間とは何者なのでしょう」より

牛田匡牧師

聖書 詩編 8110

 満天の星空を前にすると、普段の時間感覚とは異なる、悠久の時の流れを感じるような、不思議な気持ちになりますが、それは恐らく何千年も昔から、人類が経験して来たことなのではないかと思います。今回の聖書「詩編」8編は、月や星、全ての生き物など、世界の全てを造られた神様の偉大さや、力強さをほめ(たた)えている詩です。

 しかし、「幼子(おさなご)と乳飲み子の口によって(とりで)を築かれた」という言葉は、どういう意味でしょうか。恐らく幼子(おさなご)と乳飲み子のような無力な者である自分たちが、数々の敵対者や困難な状況の中で、いつ滅びてもおかしくなかったのに生き延びて来られた、という古代イスラエル民族の救済体験が歌われているのだと考えられます。人間の常識を越えて、むしろ非常識と思われることを通して、神様はその力を表わされます。家畜小屋で生まれた難民の子どもが救い主であったというクリスマスの出来事も同様です。自分では生きていけない幼子(おさなご)や乳飲み子であるにも(かかわ)らず、いやそのような無力な存在だからこそ、神様によって用いられていくのだ、ということなのでしょう。

 ここで「人とは何者なのか」と言われている「人」という言葉は、無力で(はかな)い存在を表わす場合に用いられている言葉です。この肉体は病気もすれば、怪我もして、年老い、やがては朽ちていく土の器です。そのような限りある(はかな)い存在でありながらも、神様は人間を心に留め、(かえり)みられます。神様の方から関心を持って近づいて来られます。人間は無力で(はかな)い存在ですが、同時に「神に似た者」として「神に(わず)かに劣る者」として創られました。そして神様は、そんな人間にこの世界を任せ管理させられる、無力な者をあえて選んで用いられます。

 満天の星空の下、私たちが感じるのは、「こんなにも小さく無力な自分、幼子(おさなご)や乳飲み子のように一人では生きて行けない自分には、何も出来ることはない、だから価値がない」ということでしょうか。いや、むしろこの世界の中で自分は、自分を越えた力、神様によって生かされているということを感じるのではないでしょうか。自分の命は神様によって創られ与えられている、神様が心に留めて下っている。神様によって選ばれ、責任が任されている。そのことを覚えて、もう一度やってみよう、そう思えるのではないかと思います。「人間とは何者なのでしょう」 世界を創られた神様、今日も命を与えて下さっている方は、今も私たちや全ての被造物の中に共におられます。私たちは今日も、その神様の価値観に従って歩む者へと、ここから変えられ用いられて行きます。

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