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11月1日 メッセージより

2020/11/02(月)
2020年11月1日 召天者記念礼拝メッセージ「神様が共に歩まれた生涯」より
牛田匡牧師
聖書 イザヤ書 44章6-7節
 今日は先に天に召された方々を偲ぶ「召天者記念礼拝」です。人類は大昔から、家族や仲間の死を悼み、悲しみ、埋葬して来ました。そして折々に死者を偲び、思い出して来ました。それは先人たちの歩みに思いを馳せ、その人たちと出会えたことに感謝を覚えると共に、自分たちもまたやがて土に還って行く存在なのだということに目を向ける機会でもありました。
 今回の聖書の箇所は、紀元前6世紀頃バビロンの地で捕囚の民となっていた古代イスラエルの人々に対して、語られた預言者イザヤの言葉でした。「自分たちは神様の言いつけを守らなかったから、異国の地で異邦人の捕虜、奴隷になっている」と思っていた人々に対して、他でもない主なる神が赦しと救いを宣言され、誰かの奴隷となっていた状態から、身代金を払って自由な身に買い戻す(贖う)と言われました。そしてこの後、祖国への帰還が始まっていきました。主なる神はまた「私は初めであり、終わりである。私のほかに神はいない」とも言われました。言い換えれば、神とは「あっちにはいたり、こっちにはいなかったりするような存在」ではなくて、この世界の全てである。この世界の全てを創られた方であり、全ての命の与え主、命を贖い救い出される方である、ということでしょう。クリスマスにお生まれになったイエス様、神が人となったイエス様は、「その名はインマヌエル(神は私たちと共におられる)と呼ばれる」(マタイ1:23)と記されています。「神様はいつでも、どこでも、あなたと共にいる。私たちと共にいて下さる」。これが聖書の語っている神様の中心的なメッセージです。
 今日、私たちが偲ぶ方々は、この教会や社会福祉法人を支えて下さった方々、またご縁のあった方々です。中には、私たちの目から見ると「なぜ」としか言えないような生もあり、また死もありました。とりわけこのコロナ禍の中で、今までに体験したことのない形で迫って来た死別に対して、十分に嘆き悲しむ手段も時間も与えられないという方々もおられました。今もまだ戸惑い、悩み苦しみ、悲しんでいる方々が、多くおられることと思います。しかし、神様は紛れもなく、それらお一人お一人と共におられ、その命を贖い、救い出して下さっています。私たちが神様と共に歩む道を選んだのではありません。神様が私たちと共に歩んで下さっています。私たちはそれぞれの方に出会わせて頂いたことに感謝し、その生涯の一時を共に過ごさせて頂いたことに感謝して、今日もこの地上での歩みを神様によって、神様と共に歩まされて行きます。

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