お知らせ

お知らせ内容

11月22日 メッセージより

2020/11/24(火)
2020年11月22日収穫感謝礼拝メッセージ「まず『小さい者』を大切に」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 25章31-46節
 日本では、人は死んだら「閻魔(えんま)様」によって生前の罪が裁かれるという考えがありますが、そのような考えは世界中で昔からありました。今回の聖書のお話もそうです。このお話は「最後の審判」について書かれている話だと理解されて来ました。しかし、このお話は実際に約2000年前の歴史の中を生きられたイエス様が、そのまま語られたお話かというと、どうもそうではなさそうです。実際にイエス様と出会い、その言葉と振る舞いに接した人々は、そのお話が心に残っていたのでしょう。それが多くの人たちの口伝えによって伝承され、イエス様の死と復活の何十年後に文字に書かれて編集されました。ですからたくさんの尾ひれも加わっていたはずです。そのように考えてみた時、このお話が伝えている内容、イエス様が語られたことの中心は何だったかというと、それは「その最も小さな者にしたことは、私にしたことなのだ」という言葉なのではないかと思います。インドのマザー・テレサも、この言葉を神様からの語りかけとして聞いたと言われていますし、日本コイノニア福祉会の始まりも、この聖書の言葉でした。恐らく、今日のキリスト教福祉施設の多くが、この言葉に原点を持っているのではないでしょうか。
 「その最も小さな者にしたこと」として、イエス様、王様は言われました。「私が飢えていた時に食べさせ、喉が渇いていた時に飲ませ、よそ者であったときにのけ者にせず仲間に入れ、裸のときに着せ、病気で弱っている時に世話をし、牢にいた時に訪ねてくれたからだ」……。これら一連のことは、有り余っている人から、何も持たない人に対して行われたことではありません。ろくに何も持っていなかった人たちが力弱い者同士でありながらも、「放っておけない」という一心で食べ物や飲み物、着る物や持ち物を分け合い、仲間となりました。そのような人々の自然な連帯を見て、イエス様は「そこに私も一緒にいる」「その一人にしたことは、私にしたことなんだよ」と言われたのだと思います。
 イエス様が言われたのは「上から目線」の「してあげる」ことではありませんでした。まず私たちの身近にいて、後回しにされている人たちという「小さな者」たちを大切にすること。イエス様は、その人たちとの横の関係での自然な交わり、分かち合いの中に共にいて下さいます。「まず『小さな者』を大切に」……。その「小さな者」と共におられる神様からの力を頂きながら、与えられている様々な実りの恵みを分かち合うために、私たちは今日も導かれて行きます。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135