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1月17日 メッセージより

2021/01/17(日)
2021年1月17日 メッセージ「私について来なさい。神様によって立ち上がらされて」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 4章18-25節

 今回の聖書のお話は、イエス様が最初の弟子として4人の漁師たちに声をかけられたというお話でした。「漁師」というのは、当時の古代イスラエル社会では、宗教的にも穢れていると見なされ差別されていた職業でした。漁師たちはガリラヤ湖での漁業権として漁獲高の何割を支払い、更にそこからローマ帝国への税金、領主への税金、神殿への税金という「三重の税制度」で、搾り取られていましたから、彼らは陸の上の小作農たちと同様に、貧困と被差別にあえぐ人たちでした。働けど働けど、暮らしは一向に良くならない。むしろ網は日々に摩耗し、手入れをしてもほころびは日々に大きくなっていく。彼らはそんな悲しい負の連鎖の中にいました。けれども、イエス様はそんな社会の中で弱く小さくされている人たちを敢えて選んで「私について来なさい」と声をかけられました。
 そして彼らはすぐに網を捨て、舟と父親を残してイエス様に従いました。ここで「捨てる」「残す」と訳されている言葉は、同じ語で「そのままにしておく」という意味です。ですから「イエス様に従う」とは、商売道具を捨て去り、生業も家族も捨てて従うことだ、ということではありません。「今日の獲れ高、働きは十分だろうか」「借金は後どれだけ働いたら返せるだろうか」などと考え、常に不安が無くならなかった漁師たちに、イエス様はそのままで「私について来なさい」と言われました。イエス様が「私について来なさい」と言われる時、それは「あなたは何に従っていますか」「あなたが一番大切にしていることは何ですか」と問われているということです。イエス様に従った4人も、この時から悩まなくなり、迷わなくなったのではなく、彼らはこの後も、イエス様と行動を共にしながらも、迷い、疑い、裏切ることさえありました。それでもその度にイエス様は彼らを赦し、彼らは神様へと立ち返って行きました。
 神様を信じ、神様に従うとは、今ここで、ありのままの日々の中に、共にいて下さる神様に気付き、心を向けるということなのではないでしょうか。26年前の阪神淡路大震災の時、何もかも失って希望すら失った、もう二度と立ち上がることができない、と思われていた所に、多くの方々の人の手を介して神様が共に働いて、今日へとつながって来ました。「私について来なさい」と言われるイエス様は、「私が今もここにいることに気付いていますか」とも言われています。このコロナ禍の中で、先行きが見えず、目先のことに振り回されて一喜一憂している私たちですが、神様はそんな私たちと今日も共にいて下さいます。神様によって立ち上がらされて、私たちは今日もここから歩み出して行きます。

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