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3月7日 メッセージより

2021/03/08(月)

202137日 メッセージ「決して魂を売ることなく」より

牛田匡牧師

聖書 マタイによる福音書 161328

 

 今回のお話はイエス様が自身の受難、死と復活を予告するという話でした。実際にはイエス様が未来を「予言」したというのではなく、自分の身に危険が迫っていることを感じておられたということなのではないかと思います。しかし、その一方で26節では「たとえ人が全世界を手に入れても、自分の命を損なうなら、何の得があろうか。人はどんな代価を払って、その命を買い戻すことができようか」と言われています。これは素直に読めば「自分の命が何よりも大切」という最もらしい言葉です。しかし、イエス様はそのように言いながらも、自分の命を守ることに固執されませんでした。「自分の命が何よりも大切」なのであれば、身の危険を感じた時点で、反対者たちから逃げて隠れたら良かったはずです。にもかかわず、イエス様は受難への道を進まれました。何故でしょうか。

 聖書の中には「命」を表す言葉が、いくつかありますが、ここで「命」と訳されている言葉は、むしろ「自分自身」という意味だと考えられます。他の言葉で言えば、自分の「本心」や「魂」と言った方が、分かりやすいかもしれません。例えば現代でも、どうしても引き受けられない、決して譲ることのできないものがある時に、「そんな魂を売るようなことはできない」と言うのと同じだと思います。自分が一番大切にしているもの、命、魂、自分自身……。イエス様は自分の命にこだわったのではなく、自分自身に与えられた使命のために、その命を使われました。

 さて、私たちは日々に「命を大切にしたい」と漫然(まんぜん)と思いながらも、本当に「魂」を売ることなく「自分自身」を大切にし、また周囲の人の魂、その人自身も大切にできているでしょうか。日本社会では、多くの人が自分の意志・本心よりも、むしろ「立場」に従って生きている。例えば、汚職や隠ぺいなどの不正行為が明らかになった際に、「本心ではなかったが、立場上、やむを得なかった」と言われるほどに「立場主義」が蔓延(まんえん)しているとも言われています(安冨歩)。

 私たちが何かを判断し、決断する時、その判断は、本当に命を守るもの、魂・自分自身を守るものなのか、それとも単に「立場」を守ろうとするものなのかを、よく見極める必要があります。「イエス様について行く」とは、決して魂を売ることなく、自分の命よりも大切なものがあることを信じ、またこの肉体の死を越えた復活があることを信じ、その歩みに倣っていくことなのだと思います。コロナのことも、収束はまだまだ先でしょうし、原発事故・放射能のことは、解決の見通しすら立っていないのが現状でしょう。判断の難しいことが多くありますが、いつでもイエス様と共にあって、そのあとについて行けるようにと願っています。

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