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3月21日 メッセージより

2021/03/26(金)

321日 レント(受難節)第5主日礼拝

メッセージ「私たちの望むものは」より                               水谷憲牧師

聖書:マタイによる福音書 202028

 本日の聖書に登場するのは、ゼベダイの息子たちの母。イエスが自分の死と復活を3度目に予告した際、彼女は「私の2人の息子が、あなたの御国(みくに)で、一人はあなたの右に、一人は左に座れるとおっしゃってください」とイエスに願う。今のうちにイエスの口から息子たちを将来重用するという言質をとっておきたかったのか。彼女も親として必死だったのだろう。しかし、その願いは独りよがりなものと言わざるを得ない。イエスも「あなた方は、自分が何を願っているか分かっていない」とばっさり。

 先日、話題の映画「劇場版 鬼滅(きめつ)の刃」に息子と行ってきた。主人公は、6人兄弟の長男。ある日長女である妹以外の家族を鬼に惨殺される。そして、生き残ったものの鬼となってしまった妹を人間に戻し、家族を奪った鬼を滅ぼすために「鬼殺隊」という組織に入る。ある日突然家族を失うという、もう立ち上がれないほどの深い傷を負いながらも、残った妹のためにも自分は生きていかねばならない。家族と一緒に死ねたらどんなによかったか。それは例えば震災によって、一日にして家族をすべて失った人々の筆舌に尽くしがたい苦しみとも重なるだろうか。そして主人公は、映画の中で、夢を見せる鬼に悪夢を見せられる。鬼に殺された家族から「なぜ助けてくれなかった」「なぜお前一人生き残った」と責められるのだ。それは、震災で生き残ってしまった人々が幾度となく自問してきた問いでもあったろう。しかし、主人公は逆に奮い立つ。「俺の家族がそんなことを言うはずがないだろう!俺の家族を侮辱するな!」キリストも、信頼し愛する弟子たちに結果的に裏切られ見捨てられても、決して彼らを恨んだり、呪ったりすることはなかった。映画の中でも、死にゆく人が愛する人・信頼する人に残してゆく言葉は「弱い人を助けなさい」「胸を張って生きろ」という言葉だったのだ。

 ゼベダイの母は、息子たちの地位の安定を願うのではなく、残されてゆく息子たちが、これからより良く生きてゆくことができるよう祈るべきであったろう。そしてそれは彼女の願いに腹を立てた他の弟子たちも同様だ。おそらく彼らの怒りも、自分も同じ願いを抱いていたが故のもの。だからこそイエスは言われた。「しかし、あなた方の間では、そうであってはならない」。偉くなるかどうかじゃなくて、どう生きていくかなのだ。私たちも謙虚にこのキリストの言葉を受け取っていきたい。私たちの望むべきものは、将来の安定ではなく、神の御心(みこころ)に示されるような命の使い方。私たちの命など、本当に儚い。だからこそ、いつか天国の門前で、神様や先に召された愛する人たちに「よくがんばったね」と言ってもらえて、自分でも胸を張れるような生き方・命の使い方をしていきたいのだ。

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