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4月18日 メッセージより

2021/04/18(日)

2021418日メッセージ「絶望の中に命の神はよみがえる」より

牛田匡牧師

聖書 列王記 上 17 824

 今回のお話は預言者エリヤの物語でした。旱魃(かんばつ)を逃れサレプタに行ったエリヤは、そこで一人のやもめと出会います。貧しいやもめには彼を養うだけの食糧はありませんでしたが、彼に言われた通りに与えると、預言通り小麦粉と油は尽きませんでした。絶望し「もうこれだけしかありません。あとは死ぬばかりです」と言っていた彼女でしたが、その状況下でも彼を養うことで、かえって自分たちも養われました。他人に与えることで、自分が与えた以上に与えられるというのは、日本にある「情けは他人のためならず」ということわざにも通じているかもしれません。

 後半は、病気になった女主人の息子をエリヤが生き返らせたお話です。この二つが同じ家での出来事として考えるならば、彼女は「食物が尽きることはなかった」段階で、エリヤが神様から遣わされた預言者であり、自分たちは命の神によって生かされていると気付くことが出来たはずでした。にもかかわらず、彼女は日々に与えられている恵みには気付かず、子どもが亡くなると預言者を責め立て、子どもを生き返らせてもらって初めて「たった今、あなたが神の人であることが分かりました」と言って(はばか)りません。このような女性の態度は、今を生きている私たちの中にもあるのではないでしょうか。しかし、この女性は、子どもの生き返りと共に、神様と共に歩む「新しい命」「新しい生き方」を生きるようになりました。「復活のイエス様」に出会った弟子たちが、それまでの古い生き方から、新しい生き方へと歩み出したように、この女性も、そして私たちもまた新しい生き方、新しい命へと招かれているのだと思います。

 今、日本ではこれまでにない程に新型コロナウイルスの感染が拡大しています。大阪では重症者を受け入れている病院がパンクして、医療崩壊が起こっています。今一度、一人一人が「命を守る」ということについて、考え直す時が来ているように思わされています。そのようなどさくさの中で、東京五輪のことも、福島第一原発の汚染水海洋放出のことも、様々なことが「命を守る」とは反対方向へと、なし崩し的に進んでいます。このような中、私たちに出来ることは何か、もう諦めるしかないのか。様々なことが頭の中を駆け巡ります。けれども死を越えられる命の神、復活のイエス・キリストは、そんな絶望の中によみがえられました。命の神は絶望の中にこそ現れます。食べ物が底をついた時に、隣人の手を介して働かれます。私たちは養うことで養われ、与えることで与えられ、互いに助け合うことで支えられます。絶望の中に命の神は働かれる。今も、私たちがこうして命を与えられて、生かされているということは、そこに命の神の奇跡が働いているということです。決して当たり前ではないその事実に改めて気付き、命の神、復活のキリストと共に歩む道へと招かれて行きます。

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