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5月2日 メッセージより

2021/05/02(日)

202152日 メッセージ「キリスト教からイエスの道へ」より

牛田匡牧師

聖書 ヨハネによる福音書 14114

 「神様はどこにいるの?」と聞かれると、多くの人は前方斜め上の方を指すそうですが、「神様は神殿の奥の祭壇に現れるよ」と言われていた時代に、イエス様は自らも人間として生まれて、人々の間に生きられました。「神様はいつでもどこでも私たちと共にいる」。それがイエス様がその言葉と行動で伝えられたメッセージだったのだと思います。

 今回の聖書のお話は、イエス様が「最後の晩餐」の席で、弟子たちに話された話の一部分です。イエス様は「私は道であり、真理であり、命である。私を通らなければ、誰も父のもとに行くことができない」と言われました。「道」とは人々が通るものであり、その上を歩むものです。この言葉は、一見すると、「キリスト教を信じなければ、天国には行けませんよ」という意味であるかのように受け取られるかもしれませんが、日本語でも「道(みち・どう)」という言葉には、「生き方」や「あり方」という意味があるように、ここで言われている「(みち)」もまた、そのようにイエス様がその身をもって示された生き方、あり方のことを指していると考えられます。ですから、この言葉は、言い換えるならば「私があなたがたと共に歩んで来たように、あなたがたはこれからも歩んで行きなさい。そこに命をもたらす真実があります」ということでした。

 キリスト教の「宣教(教えを()べる」や「伝道(道を伝える)」が、宗教としてのキリスト教や聖書の知識を理解させ、入信・改宗させることであれば、それは小さい子どもたちや、認知症や様々な病気や障がいをお持ちの方々を対象外としてしまいます。しかし、「私を通りなさい」と言われるイエス様の道は、全ての人々に開かれているはずです。久宝教会が、八尾市久宝寺の地に戻って来て1年が経ちました。私たちの教会では「二人、または三人が私の名によって集まるところには、私もその中にいるのである」(マタイ1820)と言われたイエス様の言葉を、いつも心に留めて来ましたが、このコロナ禍の中、その二・三人ですら、共に集まることが難しくなってきています。しかし、たとえこの礼拝が、インターネットを介した集いや交わりであったとしても、またそれも出来ず、場所も時間も共に出来なかったとしても、だからといって神様の働きが、異なるわけではありません。イエス様がその言葉と振る舞いで示されたように、神様は全ての人と共におられて、今も働かれておられます。そのために、たとえ場所も時間も離れていたとしても、私たちがイエス様の道を共に歩む者であることには何も変わりはありません。ですから、私たちは今日もここから、神様が全ての人と共におられるということを証ししていく者として、神様によって用いられて行きます。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

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