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5月16日 メッセージより

2021/05/17(月)
2021年5月16日 メッセージ「真実から目を逸らさない」より
牛田匡牧師
聖書 ルカによる福音書 24章36-53節
 今回の聖書は、イエス様が天に上げられる「キリストの昇天」と呼ばれているお話でした。キリスト教絵画には、雲に乗って空に昇っていく絵がありますので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。その昇天の前の場面では、弟子たちが集まっている所に、突然イエス様が現れ、驚き怯えている弟子たちに「私は幽霊ではない」と言って、差し出された魚を食べたと記されています。これらの表現は、イエス様の復活、死からの引き起こしは、本当の出来事、真実だということを、印象付けるための表現だろうと思います。そしてその後、イエス様は天に上げられていきましたが、そもそも「天」とは、空の彼方ではなく、神様がおられ生きて働いておられる所です。ですから、イエス様が「天に上げられた」というのは、空高くに浮かび上がって行ったということではなく、「神様が働かれる場所へと移られた」ということなのでしょう。そのようにして、復活のキリストは弟子たちの前から姿を消しました。
 しかし、彼らはイエス様を見失って意気消沈したのではなく、むしろ今も生きて働き続けている神様と共に、喜びに満ちてそこから歩み出して行きました。もしも、イエス様が姿を消さなかったら、彼らはイエス様を自分たちの正義を証明するための「証拠」のようにして利用し、独り占めしてしまったのではないでしょうか。真実から目を逸らさない……。十字架で殺されたイエス様は、死から引き起こされ、魚を食べて見せるほどに、確かに復活された。そしてまた、そのイエス様は「天」へと移られ、その姿は見えなくなった。そして今も「聖霊」「力」となって、私たち全ての人たちの間に共に生きて、働いて下さっている。それが「真実」なのではないでしょうか。
 さて、現代を生きている私たちの身の回りでは、それこそ目を逸らしたくなるような出来事ばかりがあります。多くの人々が苦しい状況に置かれ、多くの涙と血が流され、命が脅かされています。そのような現実を見ると、無力な私たちはそれらから目を逸らし、責任逃れや言い訳をしたくもなります。しかし、真実に目を向けることなしには、真の歩みは始まりません。嘘の上に嘘をいくら積み重ねても、それは真実にはなりません。復活され天に移られたイエス様は、全ての人、全てのものと共におられます。私たちは出来ることの限られた、取るに足らない無力な一人一人ですが、そんな私たちであっても、神様は私たちに命と力を与えて用いられます。全ての命と正義が守られる世界が実現されるために、神様の御心が実現する世界が作られるために、私たちはここから歩み出して行きます。

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