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6月6日 メッセージより

2021/06/06(日)

202166日 メッセージ「Wanted!」より

岡嶋千宙伝道師

聖書 サムエル記 81622

「王が欲しい。わたしたちを正しく裁き、わたしたちの戦いに勝利をもたらす王が」

 イスラエルの民が、指導者サムエルに対して求めた「王」という存在は、本来なら、彼らの信仰とは相容れないものでした。民は、ヤハウェこそが唯一の救い主であり、ヤハウェ以外に正しい裁きを行い、戦いに勝利をもたらす存在はいないと信じていました。ヤハウェに代わり、王という人間によって救いを得ようとする発想は、それゆえ、それまでの信仰からすれば到底受け入れられない、水と油のようなものであったのです。それにもかかわらず、民が王を求めたのは、よほど緊迫した状況だったからでしょう。一人ひとりの日常が、命が、脅かされていた。だから、民は神に、「どうしても王が必要なのです」と迫り、神も、人々を生かすために、民のその求めを聞き入れたのです。

 ただし、神は、民の求めに無条件に応じたわけではありません。表舞台に出てきて「王が欲しい!」と求める人たちの声を聞き入れながらも、神は、その声の背後にある存在に目を向け、そのものたちの声に耳を傾けることを忘れるな、と忠告するのです。811節から18節の神の言葉において、「あなたがたの娘、息子、畑、収穫物、奴隷、家畜」と言われているのは、神が、社会の表舞台で、声を響かせることのできる有力者ではなく、小さくされ、声をあげることのできないものたちと共にいることを、そのものたちの声に耳を傾けることを伝えています。

 王国が成立する直前に、神がサムエルの口を通して伝えたこの言葉は、王国の興隆と滅亡を経て、約1000年後に、生身の身体を持った一人の人、イエスに引き継がれます。イエスと同時代に生きた人々は、かつてイスラエルの民が王を求めたのと同じように、新しいユダヤの王を求め、「イエスこそがその王なのだ」という期待を抱いていました。しかし、イエスは人々の抱いていた「王」のイメージを180度転換させます。小さき者たちの犠牲の上に成り立つ王ではなく、小さき者たちと共にあり、共に歩む王。それが、イエスの示した王の姿です。

 不安な世の中にあって、高らかに語られ響く言葉に、つい身を寄せてしまいたくなります。不安におびえるのではなく、「安心、安全」と思われるものにすがりたくなります。しかし、高らかに鳴り響く言葉の背後に、言葉にならない声があること、生身の身体をもった一人ひとりのつぶやきが、ため息が、そして、命があることをわたしたちは忘れてはならないでしょう。

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