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8月29日 メッセージより

2021/08/29(日)

2021年8月29日 メッセージ「命の神につながって」より

牛田匡牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅰ 15 3552

 今回の聖書は、パウロがコリントの教会の人々に書き送った手紙の中から「死からの引き起こし(復活)」について書かれた部分でした。コリントは、古代から交通や商業、また軍事の要所として栄えていた都市で、民族も文化も様々な多くの人々が集まっていました。そして、死からの引き起こしについては、当時から様々な考えがあったようです。もちろん、それから約2000年を経た今日でも、世界には多様な宗教があり、文化があり、考え方があります。そのような中で、私たちが「死からの引き起こしは、確かにあるんだ」と断言することは、一体何を意味しているでしょうか。

 パウロは、死からの引き起こしについて、植物の種にたとえたり、生き物の肉にたとえたり、星の輝きにたとえたりしています。一読しても何だかよく分からない表現ですが、年老い、怪我も病気もする私たちの肉体が、やがて土に還り失われても、その命は決して終わらない、という「命の永遠性」、「絶対性」を表現したものなのではないかと思います。イエス様は「7人の夫を持った妻が復活の時には誰の妻として復活するのか」という問いに対して、「復活の時には、めとることも嫁ぐこともない。天の御使いのようになるのだ」(マタイ22)と答えました。この肉体は朽ちていっても、その霊、命それ自身は、決して朽ちることなく、生前の立場や役割などを越えて、自由に生き存在する、ということでしょうか。私たちの命は、霊も肉も両方があってこそのものです。ですから「霊の体に復活します」というのは、肉体を離れて霊だけが復活するのではなく、他でもないあなた自身、私たち自身の命が、確かに死から引き起こされるのだ、ということを述べているのだと理解することができます。

 私たちは誰一人として自分で生まれて来た人はいません。命は自分の力ではなく、神様から与えられるものです。命の神によって与えられた一つ一つの絶対なる命……。今、世界は新型コロナウイルスという新しい病気のために、そしてまた人々の命を守ろうしない国の政策のために、多くの命が脅かされています。オリンピック・パラリンピックの報道も、コロナの感染から人々の目を逸らさせるための、一時的な麻薬のようにも思えます。多くの命が顧みられず、大切にされないこの時代にあって、命の神によって今日も生かされている私たちは、命の神につながって、自分たちの都合に従うのではなく、神様の御心に従って歩めるように、今日もイエス・キリストの後に従って歩めるようにと、その道へと押し出されて行きます。

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