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4月24日 メッセージより

2022/04/25(月)
2022年4月24日 メッセージ「イエス来ます トマスいます」より
岡嶋千宙伝道師
聖書 ヨハネによる福音書 20章 24-29節
 マグダラのマリアや、他の弟子たちが伝えるイエスの復活を頑なに信じなかったトマス。「自分の目で復活の姿を見て、自分の手で復活の身体に触れるまでは決して信じない」(25節要約)と言い張った彼は、「疑いのトマス」として知られています。聖書の記述からすると、そう呼ばれてもおかしくはないような要素は確かにあります。
 ですが、マリアや他の弟子たちも、イエスの復活をはじめから何らのつまずきなしに信じられたわけではありません。また、ヨハネ福音書の別の箇所で描かれるトマスの人物像からすると(11:1-16、14:1-14)、たった一つの場面での心のあり方をもって「疑いの人」という形容を与えるのは適切ではないように思えます。他の弟子たちに比べるとトマスは積極的で、目立つ存在であり、弟子集団の中では変わり者だったような印象を受けますが、だからといって、そのことが「疑いの人」という呼び名を正当化する根拠になるわけでもありません。
 マグダラのマリア、トマス以外の弟子たち、そしてトマス。ヨハネ福音書は、三者が三様に異なる仕方で復活のイエスと出会い、異なる経緯で復活を信じるようになったことが記されています。わざわざ3つの異なる復活の場面が描かれているのは、信仰に至る道がたった一つだけではないということを伝えるためだと理解することができるのではないでしょうか。異なる道があって良い。それぞれの道に優劣はない。「正しい道」「間違いの道」ということは決してない。
 もし、トマスを「疑いの人」というイメージに閉じ込めてしまうのなら、ヨハネの描く復活のイエスが示している信仰へと至る道の多様性を否定しまうことになるでしょう。そして、それは、復活に触れて救いのうちに生かされているわたしたち自身を狭い枠に閉じ込めてしまうことになります。復活の命に与っていながら、命を蝕むことになります。だから、トマスを解放していく。わたし自身を、隣にいるあの人を、解放していくのです。イエスの復活の力に導かれて。友の手をとって。神の愛に包まれて。

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