お知らせ

お知らせ内容

7月24日 メッセージより

2022/07/26(火)

2022年724日メッセージ「放っておけない仲間」より

牛田匡牧師

聖書 マルコによる福音書 822-6

 今回のお話は、癒しの奇跡物語でした。人々が一人の目の見えない人を、イエス様たちの所に連れてきて、イエス様に「触れて頂きたい」と願ったそうです。「病人や障がい者は、宗教的に穢れているので関わってはいけない。関わると、自分も穢れてしまう。だから、そのような人たちを避けることが、正しいことだと考えられていた時代です。そのような社会常識に反して、イエス様は自分の所に来られた人たちを拒むことなく、自分の方からも触れました。そしてその人の目は見えるようになりました。実際にイエス様が触れることで、視力が回復したのか、それが歴史的事実であったかどうかは分かりません。ですが、大切なことは、イエス様の所に連れて来られた人を拒まず、自らが穢れることを顧みずに相手に触れ、いわばその穢れを共有した所に、神の力が働いたということ。言い換えれば、その相手の存在そのものを、ありのままで受け止め、つながった。そこに真の癒し、新しい命に目と心が開かれたということがあったのではないでしょうか。

 彼がそのようになれた背景には、イエス様との出会い、触れ合い以前に、まずは彼のことを「放っておけない仲間」として、親身になってイエス様の所まで連れてきてくれた人たちの存在がありました。彼の「穢れ」と呼ばれるものを共有したのは、イエス様だけではなく、彼を連れてきた仲間たちもまたそうでした。私たち自身の歩みを振り返ってみても、その時その時に多くの方々に助けられ、支えられて来た、ということを思い出されるのではないかと思います。「放っておけない仲間」や「家族」として、大切にされた経験があるからこそ、一人一人の今があるのではないでしょうか。

 先日の安倍晋三元首相の襲撃事件も、大変な事件でしたが、近年いわゆる通り魔事件などが増えてきているように感じています。その背景には、何にも希望を見出せず、生きている意味も見出せず、家族も仕事も財産もなく、失うものが何もないから、怖いものが何もない。だから犯罪でも何でもできる「無敵の人」が増えているということがあるようです。誰も好んで「無敵の人」になりたい人はいないはずです。奪われていい命、また奪わせてしまっていい命は、存在しません。お互いに顔の見える関係、名前を呼び合い、知り合えている関係性、大切な友達、仲間、家族のような関係性が出来ていて初めて、私たちは自分の命も人の命も、安心して大事にできるのではないかと思います。私たちにできることはわずかですが、イエス様の言葉とふるまいに従って、「放っておけない仲間」の関係を、少しずつでも広げていきたいと願っています。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135