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2月19日 メッセージより

2023/02/19(日)

2023年2月19日メッセージ「これだけしか/こんなにも」より

牛田匡牧師

聖書 ルカによる福音書 9章10-17節

 今回のお話は、4つの福音書に記されている「5つのパンと2匹の魚」のお話でした。5000人ほどの人々が、それを食べてなお余ったパン切れが12籠にあふれたというのですから、一体どのようにパンと魚が増えたのか、またどうやって分けたのか、などよく分からないことだらけの不思議なお話です。ですが、むしろここで注目したいのは、「お腹を空かせた大勢の群衆」という目の前にある課題、現状に対する弟子たちとイエス様との向き合い方の違いです。

 弟子たちは「困りました。先生どうしましょう」とイエス様に相談し、「私たちはこんな寂しいところにいて、何もできることはありません。ですので、いったん解散させて、各々で食料を調達させましょう」と言いました。「自己責任で調達してください」ということです。しかし、一方のイエス様は「あなた方の手で、食べ物をあげなさい」と答えられました。弟子たちが5000人分の食料を持っていないことも、それだけのお金を持っていないこともイエス様はご存じでした。にもかかわらず、何故そんなことを言われたのでしょうか。それは、その後、イエス様が5つのパンと2匹の魚を取り、祝福し、裂き、配ることによって、皆が食べて満腹したことによって、それが不可能ではないということを弟子たちに自ら示されました。

 弟子たちや皆がいた「寂しい所」は、モーセに率いられた古代イスラエルの民が「出エジプト」で放浪した「荒れ野」であり、イエス様が悪魔から誘惑を受けた「荒れ野」でした。手元の食料が尽きた時、神は民に天からのマナを降らせましたし、悪魔はイエス様に「石をパンに変えよ」と誘惑しました。この時も、弟子たちはイエス様によって、そのような奇跡が起こされることを期待していたのかもしれません。しかし、イエス様が選んだのは、自分が持てる「これだけしかない」ものを差し出し、それを皆で分かち合う道でした。

 たとえ、一人一人が持っているものは、人前に出すのが恥ずかしいと思われるくらいに僅かなもの、全く役に立たないとしか思えないようなものであったとしても、それらは神様からの恵みとして、確かに与えられている物であり、それらは隠してしまうのではなく、周りの人たちと分かち合おうとする時、それを必要かつ十分なものとして生かして用いて下さる神様の奇跡があるのではないでしょうか。共にいて下さる神様に支えられながら、私たちは今日もここから小さな一歩を歩みだしていきます。

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