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3月19日 メッセージより

2023/03/21(火)

2023年3月19日メッセージ「命に向き直る時」より

牛田匡牧師

聖書 コリントの信徒への手紙Ⅱ 3章1-18節

 「契約」と聞くと、身近なものとしては「売買契約」や「雇用契約」などを思い出すかもしれませんが、聖書では人と人との約束、また神様と人との約束の関係性を表す言葉として用いられています。そして「契約」や「約束」という言葉の反対側には、「契約違反」や「約束破り」があるわけですが、本来はお互いが守ることに合意して約束するわけですから、初めから違反時の罰則が強調されるわけではありません。古代イスラエルの民と神様との契約も、神様が自分の民として古代イスラエルの人々を心にかけ、大切にし、慈しみ、守り祝福される、という恵みへの応答として、民は神様から示された律法を守って生活する、というものでした。にもかかわらず、民は神様の恵みを忘れ、その律法を守らなかっただけではなく、律法を守ることの出来ない人々を、死に向かう者として裁くようになってしまっていました。しかし、この世界を創り、人間を創られた神様の御心は人々を死に追いやることでありませんでした。律法という石板に刻まれた古い約束を越えて、イエス様によって新しい契約、新しい救いの約束が全ての人々に与えられました。それこそが一人一人の人の胸の中、心の中に刻まれている「良い知らせ(福音)」でした。

 聖書では、神様は人間を自分に似せて「神のかたち」に創造されたと記されています(創世記1:27)。他の被造物である動物たちにはない、人間ならではのものとして、その「神のかたち」なる「人間らしさ」とは何でしょうか。そのことについて「理性」や「信仰」など、様々なことが考えられるかと思いますが、ロボットや人工知能が発展し続けている現代において、それは「理性」や「知性」などの情報や、頭で考えられる理屈などではなく、むしろ私たちの「命」そのものと言えるのではないかと思います。イエス様は神と人とを大切にされ、罪びとと見なされていた人をも含めて全ての命を大切にされたために、権力者たちによって十字架へと追いやられていきました。しかし、その命は十字架上での死では終わりませんでした。また十字架で流されたその血は無駄になったのではなく、「新しい契約の血」(ルカ2221)として、全ての人々に罪の赦しと解放を告げ、命を与えるものとされていきました。この受難節、改めて自分自身の命に向き直り、「人間らしさ」に向き直り、イエス様の言葉と振る舞い、歩みに従う者として変えられていきたいと願います。命に向き直る時、心の中に刻まれた福音に向き直る時、私たちもまた神のかたちに変えられていきます。

 

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