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2月4日 メッセージより

2024/02/05(月)

2024年2月4日 久宝教会 降誕節第6主日礼拝メッセージ

「知らない人に癒されて」より                                                   牛田匡牧師

聖書  ヨハネによる福音書 5章 1-18節

 今回のお話は、38年間も病気で体が麻痺していた人が癒されたというお話でした。当時、病気はその人やその家族が罪を犯した結果だと考えられていましたので、この人は自分の身体が動かないことで、自身の不自由な境遇を嘆くだけではなく、自身の罪やまた家族の罪を責めたりしていたのではないかと思います。そんな彼が望みをかけてやって来たのが、癒しが起こると言われるベトザタの池でした。しかし、ここでも彼よりも先に他の人々が次々と癒されて行きましたから、彼の内心は先に癒された人たちを妬ましく思い、まわりの人たちに対する恨みつらみもかさんでいったのではないかと思います。ですから、彼の中には身体的苦痛だけではなく、「どうして自分ばかりが」という魂の奥底からの苦悩もありました。そんな彼にイエス様は目を留めて、語りかけられました。「起きて、床を担いで歩きなさい」。この言葉は「復活」も表わす言葉で、「起きる」「目を覚ます」という意味の言葉です。彼は「死んでいたのに生き返った」「腐っていたのに活き活きとし始めた」のでしょう。「あなたは生きることが許されている。自分や他人を責め過ぎたり、諦めたり腐ってしまったりせず、あなたは起き上がって、自分で歩いて行くことができる」。それがイエス様の伝えたメッセージだったのではないかと思います。

 この人は何かの見返りに癒されたわけではなく、そもそもイエス様が誰なのかということも知らないままで癒されました。私たちは普段の生活の中で、周りの人たちをその肩書や能力で判断することが多くありますが、その一方で知らないうちに、知らない相手から、たくさんのものを頂いている、ということもないでしょうか。相手の肩書とか能力とか、それらに関係なく、交わされる挨拶や笑顔、何気ない言葉など。実はそれらの数々が、私たちの心に火をともし、眠っていたのに目覚めさせ、死んでいたのに立ち上がらせ、倒れ伏していたのに癒す、ということが確かにあるのではないでしょうか。早くも能登半島地震から1カ月が経ちました。被災地では、「自分に出来ることを」と言って、被災されながらも互いに力を出し合っておられる方々が多くおられるとのことです。私たちは受け続ける一方でも疲れてしまいますし、与え続ける一方でも枯渇してしまいます。互いに与え合い、担い合い、支え合うことを通して、私たちは互いに癒され合い、生かされて合って行く。そのことを心に留めて、私たちは今週もここから送り出されて行きます。

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