お知らせ

お知らせ内容

6月21日 メッセージより

2020/06/27(土)
2020年6月21日メッセージ「もうひとつの幻」より
水谷憲牧師

ハバクク書 2書1-4節

 ハバククは、この書物の初めに「主よ、私が助けを求めて叫んでいるのに、いつまであなたは聞いて下さらないのか。私が、あなたに『不法』と訴えているのに、あなたは助けて下さらない」と訴える。当時北イスラエル王国は既に滅び、南ユダ王国もアッシリアに苦しめられていたが、神はさらにカルデア人(バビロニア帝国)という新たな敵を南ユダに対して送るというのだ。そのやばさは1章6節以降を参照。なぜ神はこんな状況を放っておられるのか。なぜ私たちがこんなひどい目に遭い、悪人が笑っていられるのか。こんなにひどい現実が、悪い夢であってくれたら……。それは今まさにアメリカを中心に起こっている人種差別や警察による暴力に対する抗議デモに連なる人々の思いでもあるだろう。昨日はアメリカ「奴隷解放記念日」。1600年頃に初めてアメリカに連れてこられたアフリカ人に始まり、1865年に形式的ながらも奴隷制度が終わり、今に至るまで、一体どれほどの人々がこの問いを抱えてきたことか。

 神はハバククに答えて言われる。「この幻を書き記せ。一目で分かるように、板の上にはっきりと記せ。この幻は、なお、定めの時のため、終わりの時について告げるもので、人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても待ち望め。それは必ず来る、遅れることはない」。神はハバククに幻を与え、それをはっきりと書き記せと言う。その幻とは、終わりの時について告げるもの、すなわち現在の苦難からの解放の時を約束するもの。だからその時を待ちなさい。必ず来るから。その約束はホンマやと。

 私たちにとって大事なのは、理解できない現実に惑いながらも、そこに神の計画や意味を見出して行こうとすることなのではないか。神の御心に対して迷いが起きたり、神に恨み言を投げつけることなど大したことではない。信仰とはそういう迷いや葛藤の中で、こんな世界であっても神の支配の内にあるのだと、信じつつ生きていくことなのかもしれない。神は最終的にすべての悪を必ず裁かれることを約束しているのだ。「それは必ず来る、遅れることはない」と。だから信じよう。

 ただ注意すべきは、「待ち望め」とは、「ひたすら文句言わずに我慢せよ」という通り一辺倒の意味ではないということ。私たちがこのハバククのように、あるいは新約聖書において、キリストに救われた多くの人々のように、具体的に助けを求める声を上げ、勇気をもって外へ出て行くという形で救いを「待ち望む」ことこそが、こちらへ向かうキリストの足を速め、神の救いの到来を早めることになる、ということを信じたい。目の前の辛い現実は夢や幻であってほしいと誰でも思ってしまうが、私たちは神の与えられるもう一つの幻を信頼しつつ、私たちの生活の中で、具体的な形で信仰を表しながら、決して諦めることなく「約束の時」を待ち望んでいきたい。

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135

【郵便振替】00980-5-212130「日本基督教団久宝教会」

〒581-0072 大阪府八尾市久宝寺6丁目7-10

TEL:072-992-2131 FAX:072-992-2135